◆舞踏会〜続き


「ほかの人と踊れとお命じになったのは提督ですのよ。私はほかの誰とも踊りたくありません。提督だけとこうしていたいのに……」
マーガレットは大石を大きな瞳でじっと見上げる。
「そんなことを言われると本気にしたくなる」
マーガレットを抱く手に一瞬ぐっと力が入れられる。
大石のいつもの余裕のある笑顔にちらっと真剣な色が走った。
彼はもともと気性の激しい男である。
年の功と鉄の自制心で常に余裕を保ってはいるが生来の独占欲の強さはどうにもならない。


大石の表情をどう理解していいかわからないまま女王はもう一度彼にダンスをねだった。
「……最後にもう一度踊ってくださいますね?」
「それは勘弁願います。最初と最後に私とですか? そんなとんでもない……」
「それならもう誰とも踊りません」
「なんですか、駄々っ子みたいに」
「では最後でなくてよろしいから、あとでもう一度踊ると約束してください」
「手に負えないな」
大石は女王の我儘に苦笑すると視線を彼女からはずした。
曲はまだ終わっていなかったが、大石は踊りの輪から外れ女王をリードして席に送ると手を離した。
「……慣れないダンスで息が切れました」
「提督?」
「外の涼しい空気を吸ってきます……わかってますよ、あとでもう一度ですね」
大石は一礼して女王の前から去った。


バルコニーに出ると夜気が冷たい。
ひんやりした空気が熱くなった体に心地よく感じられ、大石はほっとため息をついた。
バルコニーの端までくると、大広間のざわめきと音楽が少し遠くなった。
眼下には仮王宮の庭園の糸杉が黒い影になって連なり、何人かの先客が煙草を燻らしながら夜気のなかで談笑していた。
大石は石造りの手すりに寄りかかって、ほの暗いインバネスの夜景を眺める。
……こんなところで俺は何をしているのだろう? 敵の大作戦の発動はそう遠くない……
大石の天性の勘がそう伝えてくる。
しかしそれもすぐにマーガレットのことに押し流されてしまう。


今夜の女王の振舞いは大石がひやひやするほど大胆だった。
……本当に何をするかわからない困った女王様だ。
隠れてこそこそするのは大石の性分にもまったく合わないことだが、彼なりに秘密保持に気を使っているというのに。
……けっして考えなしの軽薄な方ではないのだがな。どうにも無邪気すぎるというか。それに言い出したら聞かない結構な我儘娘だ。俺以上に強引かもしれん。そのくせ人一倍素直でしとやかなのだからかなわない。
優美な女王の笑顔を思うと大石は思わず頬が緩んでしまう。
……わが親愛なる女王陛下。あなたが踊りたいのならお相手しよう。少々噂になるかもしれんが所詮噂だ。
彼は覚悟を決めるとバルコニーの手すりから身を起こした。
……こんなことならダンスも若い時分にもっと練習しておくんだったな。
大石は光と音楽の溢れる大広間に戻っていった。


女王は英陸軍参謀長と踊っていた。
大石はシェリー酒を受け取るとさりげなく人の輪の中に入っていく。
彼は軍人ではあるがこういった場では外交の才能を遺憾なく発揮できた。
女王は今度は海軍大臣と踊っている。
軍の功労者と片っ端から踊って大石のカモフラージュにするつもりなのだろう。
そうと知らない人々は普段踊らない女王が軍功労者をねぎらわれているのだ、と女王の心遣いに感じ入っていた。


「もうダンスはうんざりとお顔に書いてありますが」
大石は椅子で休む女王の横に立って小声でからかう。
「将軍たちはあと何人残っているのですか?」
「あと15人ぐらいかしら? あとはメアリに代わってもらいます」
フロアでは真面目で姉思いなメアリ王女が中部方面軍司令官と踊っていた。
女王ばかりに踊らせては申し訳ないと自分から進んで接待ダンスを引き受けてくれたのである。
「お気の毒な……しかしこれでまた王室の株が上がったようですね。お国の方々は女王の愛国精神に感激しておいでです」
真面目くさって大石は女王を冷やかした。
「それで提督ご自身は感激してくださいましたの?」
女王もやんわりと言い返した。
「いや、ご立派なものです。陛下」
大石は女王の耳元に顔を寄せると囁いた。
「……あなたと踊った将軍たちを蹴飛ばしてやりたいですな」
ころころと鈴の音のような軽やかな声をたてて女王が笑った。


「そろそろ私はおいとましようと思うのですがお許しいただけますか? 陛下」
女王は大石を優しくみつめた。
「提督には旭日艦隊がおありですからお引止めできません」
「もしお疲れでなければ最後に踊っていただけませんか?」
「喜んでお受けしますわ」
女王はにっこりと微笑んで優雅に片手を大石に差し出す。


もはや人の目も気にはならなかった。
互いの情熱を互いの瞳に見出しながら二人は踊った。
腕の中の女王はうっとりするような甘い笑顔を大石に投げかける。
大石は熱のこもったまなざしで女王に応じた。
柔らかな微笑を湛えているがその目には激しい熱情が秘められている。
マーガレットは引き込まれるような魅力をその瞳に感じた。
……なんて激しい目でごらんになるのかしら?
彼女の本能的な怯えが伝わったのか大石の目の色がフッと柔らかくなる。
誠実で暖かい大石の瞳。
……神秘的な方! 大石さま、あなたのことをもっと知りたい……
恋の想いで大きな瞳をいっぱいにしてマーガレットは一途に大石を見つめる。


「女王が二度もお相手されるとは何者だ? 日本の軍人か?」
「旭日艦隊のアドミラル・オオイシがまた女王と……」
「陛下がビクトリア・クロスを授けられた……」
「陛下のお気に入りらしい……」
日本の大石提督は女王の一番のお気に入り、という風評がぱっと広まったのはいうまでもない。


大石は仮王宮を後にし帰路についた。
マーガレットの恋に輝く瞳の面影を胸に抱きながら……。