◆階級章2

現在は変更されていますが、昭和期の警察の制服は巡査部長と警部が紛らわしゅうございました。
巡査部長の袖章は銀線一本。
警部の袖章は金線一本。
古参の巡査部長は銀線の表面が酸化してしまっているので、ちょっと見ただけでは金か銀かわかりませんでした。
警察本部の廊下などで、他署の巡査部長にうっかり自分から敬礼してしまう警部補さんがちょくちょくおいでになったそうです。
同様のことが旧海軍でもありました。
主計科尉官の襟章はベタ金の将官階級章と紛らわしいのです。
階級章の端に付けられた主計科識別線の白い筋がどうにかするとベタ金が光っているように見えないこともない。
実際、将官と勘違いしてパッと敬礼する佐官がけっこういたそうな。
しかし五十代の将官と二十代の尉官、いくら階級章が紛らわしくても間違いますかね?
そりゃ欠礼するよりは、変だな?と思いながらでも敬礼しておいたほうが、身の安全というものでありましょうが……。

前回は下士官兵の階級章についてお話しましたので、今回は士官編です。
どうにもややこしい階級章ですが、せめて士官さんだけでもパッと階級を見分けたいものです。
そこで、海軍士官の階級を簡単に見分ける方法――
まず袖章を見ましょう。
そして袖の線が何本あるか素早く数えましょう。
二本でしたか? それとも三本でしたか?
二本だったら尉官です。
三本だったら佐官です。
次に襟章をパッと見ましょう。
桜の数はいくつでした?
一つなら、少のつく階級、つまり少尉・少佐・少将です。
二つなら、中のつく階級、つまり中尉・中佐・中将です。
三つなら、大のつく階級、つまり大尉・大佐・大将です。

袖章が二本か三本かで尉官・佐官を判別し、襟章の桜の数で大中小を判定する。
これならいちいち徽章の図鑑を引っ張り出さなくても大丈夫なはずです。
あと、線が四本だったら大佐ですし、えらく幅の広い線が混じっていたら将官です。
将官の襟章は通称「ベタ金」と申しまして、その名の通りベターッと広い金地で、いかにも偉そうですからすぐわかります。
線が一本だったら少尉か候補生で、襟章がのっぺらぼうだったら候補生です。


線は何本?
袖章が 細1 少尉候補生 なし
桜は何個?
太1 少尉
袖章が 太1細1 中尉 ★★
太2 大尉 ★★★
袖章が ||太2細1 少佐
|||太3 中佐 ★★
袖章が ||||太4 大佐 ★★★



『教育総監部編纂 昭和十六年一月二十日 陸海軍官等、服制、勲章、記章抜粋』 より


海軍の袖章、本来は紺地に黒線であります。
OVAでは金線として描かれています。
これは紺地に黒線だと画面映りが悪すぎるからでしょうね。
実のところ、海軍冬服の袖章は暗いところではさっぱり見分けがつけられませんでした。
なぜイギリス・アメリカに倣って見場のいい金線にしなかったのか?
……金線が高かったから。
わが日本海軍、まことに貧乏くさいのであります。
この見えにくい黒線の材質は「縞織黒毛縁線」、平たく言えば黒ウールです。
紺の服地よりはやや光沢がありますが、それでも見にくい。
これではやはり欠礼の原因となってまずかろう、というので大正八年、襟章が初めて制定されました。
夏服の肩章を小ぶりにしたものを、あとになって冬服の襟につけた、というわけです。
それなら最初から金線をケチらなきゃいいだろうに……と思わなくもありません。

さて、この襟章は紺ラシャの台地に金線と銀色の金属製の桜を乗せています。
兵科以外の各科(機関科・主計科などいろいろあります)は金線の外側に「識別線」という色筋をつけて所属を表しました。
金線の幅が広いのが「ベタ金」、将官です。
佐官は「ベタ金」の半分の幅の金線が二本、尉官は一本で、それぞれ銀の桜が1〜3個乗せられています。
日本軍の貧乏性の象徴?の金線ですが、節約にうるさくなった昭和十三年にはこんな通達が出されています――
「……襟章・肩章の金線に代ふるに縞織絹糸線を用ふることを得」
金線はもったいないから黄色い絹糸で代用しろという、まことにいじましい通達でした。

   *「識別線」
 兵科以外の士官の階級章には識別線がつけられていました。
 軍医科は血の「赤」、主計科は銀貨の「白」、機関科はエンジンオイルの「紫」、などの「識別色」が割り当てられています。
 (OVAでは軍医長も主計長も登場せず、したがって「識別線」も出番なし)
 袖章の識別線は襟章の制定と同時に廃止され、軍帽の識別線は昭和十七年に廃止になりました。(07/3/4下線部訂正)
 以降、士官の識別線は襟章と肩章だけになりました。
 陸軍では識別色のことを兵科色と言います。
 歩兵が赤、騎兵が緑、砲兵が黄色、などですが、昭和十五年に廃止されました。


   *主計科
 被服・糧食・需品の一般経理事務、調理炊事を任務とします。
 主計科の新兵は「飯炊き」から、新米の主計少尉は「庶務主任」からスタートしました。
 主計科庶務は艦の公文書の起案清書・回覧処理を一手に引き受ける大変忙しい部署でした。


最後は階級サギのお話をひとつ。
ときは日露戦争(1904-5)旅順攻略の真っ最中――
陸軍の旅順攻略が遅々として進まず、海軍からも応援部隊を出すことになりました。
この急遽編成された海軍部隊の連絡将校は、態度のでかい横柄な男でして、彼はときどき陸軍旅順司令部にやってきては上官風を吹かせていました。
ですがこの連絡将校はいつも艦内用の作業服を着用しておりまして、実のところ階級は不明でした。
そう、海軍の作業服には階級章がどこにもついてないので、階級が判別できないのです。
陸軍側としては、この偉そうにしている男が不快でなりませんでした。
……頭から上級者として振舞うあの連絡将校、いったい階級はなんなんだ? まだ若いように見えるが、ああでかい態度をとるところを見るとやっぱり中佐か少佐なんだろうな……?
旅順司令部の幕僚たちは、そう考えてその階級不明の海軍将校の横柄さに耐えていたのでありました。
明けて明治三十八年の一月、数万の将兵を失ったのちようやく旅順は落ちました。
その晴れの入城式には当然ながら、あの連絡将校も参列しておりました。
見れば彼の軍装の袖には大小それぞれ一本、たった二本の線が巻いてあるだけ……なんと連絡将校の正体はただの中尉でありました。
「あの野郎……! たかが中尉の分際で俺たちにさんざん偉そうにしやがって……!」
陸軍司令部の参謀たちは地団太踏んで悔しがったということです。
階級章のない艦内作業服を利用した、某海軍中尉さんの茶目っ気でありました。

――これは日本海軍きっての名士と謳われた津留雄三大佐の中尉時代の逸話……ということですが、ホラ話の好きな海軍のこと、話の真偽は不明であります。