◆休暇
久しぶりに踏む日本の土。
何度帰ってきてもいいものだ。
ひとり身軽に鞄を下げた大石に出迎えの人はいない。
迎えには来なくていいと厳命してある。
軍からの車が目立たぬよう一台用意されているだけだ。
大石は車に乗り込み首相官邸に向かった。
まずは帰国の報告だった。
一週間の休暇。
表立っては本国との綿密な打ち合わせである。
そうでもないと素直でない大石がうんと言うはずがないことを大高たちはよく知っている。
情報の交換と新しい作戦の是非……白熱した議論は深夜まで及ぶのが常なのに、今夜はきりのいいところで大石は帰宅を勧められた。
たしかに今夜中にあわてて結論を出す必要も無い。
しかし、少々癪に障る。
人に会うたびにこのトシで新婚扱いされて、居心地の悪さを通り越してむっとしている大石であった。
そんな大石の心中を察知して高野は高飛車に出た。
「俺は貴様のために言っているんじゃない。奥方がお気の毒だから言っているんだ。さっさと帰って顔を見せてあげろ」
「まったく同感です。さあ」
高野と大高に背中を押されるようにして大石は帰路についた。
マーガレットの待つ郊外にたどり着いたのは深夜といっていい時刻だった。
やはり都心からは遠い。
運転手をねぎらい車を帰すとあたりは物音ひとつしない。
空にはおびただしい星がさえざえと光る。
……地上の星か。海の上で見るのとまた違うような気がする。
見る間に小さな星がか細い光跡を残して漆黒の夜空を流れた。
大石は門灯の明かりに目をやった。
マーガレットに最後に逢ってから数ヶ月経っている。
なんだか顔をあわせるのが照れくさい。
飛び立つような気持ちと反対にわざと歩みを緩める大石だった。
ひねくれた照れ屋である大石と違って、マーガレットは感情を率直に表現できる女性である。
嬉しげな笑顔、愛情に満ちたキス、優しい心遣い、甘い情熱。
大石が照れている暇もなかった。
マーガレットは大石の胸を枕に安心しきって眠っている。
彼女を左腕に抱えて大石も眼を閉じていた。
絹糸のような手触りの彼女の髪を優しく撫でる。
満ち足りた思いで大石もいつしか眠りに就いた。
マーガレットは幸せな気分で目覚めた。
朝の光が寝室に差し込んでいる。
隣には大石が端正な横顔を見せて眠っている。
……そういえば大石さまの寝顔を見たのはこれが初めてではないかしら?
いつも彼女が目覚めたときにはすでに彼は目を覚ましているか起き出して不在だった。
大石の東洋人にしては彫りの深い顔立ちの目元と目尻には幾筋か深い皺が刻まれている。
マーガレットには大石の皺が好ましかった。
きつい鋭い目なのにこの皺が大石の表情を柔和に見せている。
笑うとこの皺がとても暖かい印象になる。
高い鼻梁がふと尖っているような気がした。
頬も少しこけて見える。
……少しお痩せになった? 光の加減かしら?
マーガレットは不安になった。
大石の激務は彼の体を蝕んでいるのかもしれない。
いくら底知れないバイタリティーの持ち主といえども、けっして若くはないのだ。
規則正しい静かな寝息を立てる彼を起こさないように、マーガレットはそっとベッドを離れた。
彼女がバスから出て寝室に戻るとすでに大石は起きた後で、ベッドも大石の手であろう、きちんと整えられていた。
「おはよう」
ドレスシャツのカフスボタンを留めながら大石が化粧室から出てきた。
がっしりとしたぜい肉のない大石の体を白いシャツがすっきりと包んでいる。
若々しくて押し出しのいい大石の容姿がマーガレットには誇らしかった。
「ネクタイは勘弁してもらえるかな?家の中では楽にしていたいんだが」
マーガレットは笑って大石の頬にキスした。
「お寝坊さんが今朝は早いな」
彼女のキスを目を細めて受けると照れたように大石は笑った。
マーガレットは大石の顔をじっと見つめた。
「なんだ?」
髭の剃りのこしでもあるのかと大石は顎を撫でた。
「気のせいだったのかしら。今朝お顔を見たときはお痩せになったと思いましたのに」
「自分ではとくに……」
大石は言葉を濁した。
「よくお休みになれまして?」
大石を見つめるマーガレットの表情には彼を気遣う心配そうな色があった。
「なんだ、今朝はひどく年寄り扱いするんだな。しばらく逢わないうちにそんなに老けたか?」
苦笑半分、大石は鏡を見ようとまわりを見回した。
「そんな。悪くおとりにならないで」
大石の背に腕を回して体をやわらかく押し付けるとマーガレットは媚を含んだ目で大石を軽く睨んだ。
「年をとると僻みっぽくなるもんでね」
平然と言い返すとマーガレットのおとがいに唇をつける。
もちろん彼女の感じやすい箇所と知ってのことだ。
「!」
「まあ、おとなしくなさい」
軽く彼女をいなしマーガレットが身を引こうとしても大石は抱いている腕に力を入れて逃がそうとしない。
臆面もなくそのまま唇を彼女の首筋に這わす。
「大石さま!」
マーガレットの声が少し尖る。
ここで大石に本気になられてはまたベッドに逆戻りになってしまう。
「なんだ、いやなのか」
大石が不満そうに顔を上げた。
……なんてかわいい顔をなさるのかしら。
マーガレットは微笑まずにいられない。
「いやではありませんけど、もう朝食にしたいですわ」