◆大石長官の斜め帽子


大石長官といえば、白手袋と斜め帽子。
ビシッときまった軍服姿で、斜め帽子がなんとも粋であります。
日本海軍では斜め帽子はもってのほかの無作法とされていたのですが、本家本元イギリス海軍には制帽を斜めに被る提督が実在しました。

第一次大戦の海戦で「ジュットランド沖海戦」という有名な戦いがありました。
(ユトランド沖海戦、スカゲラック海戦)
1916年5月31日と翌日の二日間、イギリスとドイツの主力艦隊がユトランド半島沖で戦い、結果はほぼ相打ちでしたが、多数の艦を失ったにもかかわらずイギリスの制海権は守られましたので、辛うじてイギリスの戦略勝ちとされています。
この海戦で活躍したのが、英国海軍のデーヴィット・ビーティ提督。
彼は派手な性格で、帽子を思いっきり斜めにする被り方と六つボタンの改変軍服(本来ならボタンは八つ)を生涯トレードマークにしていました。


David Beatty, 1st Earl Beatty (1871 - 1936)

……なんかビーティさん、いやにカッコつけてませんか?
ばっちりカメラ目線でポーズをつけて、ハンドポケットまでしてますよ。
とにかく大石さんも負けそうな斜め帽子です。
制服を変にいじりたがるなんて一昔前の不良学生みたいですが、ビーティ提督は爵位を持っていまして、れっきとした伯爵なのでありました……。

1922年、エドワード英国皇太子が日本を訪問したおりに、戦艦長門での艦上晩餐会に出席されました。
エドワード殿下は海軍士官でもあったのでイギリス海軍の軍服で出席されたのですが、プリンスは軍帽をちょいと斜めに被ってられました。


King Edward VIII, Edward Albert Christian George Andrew Patrick David Windsor (1894 - 1972)

この写真は日本訪問の前のものですが、たしかに帽子が斜めです。
……エドワード皇太子、即位後はエドワード8世、そして人妻であるシンプソン夫人との大恋愛で王冠を返上してウィンザー公に。
大変にドラマチックな人生をおくられたウィンザー公は、皇太子時代から国民にカリスマ的な人気があり、とくに彼のお洒落な着こなしはイギリス社交界の注目の的でした。
――外遊先の道が悪くて泥ハネが上がったので、殿下がとっさにズボンの裾を折り返して歩かれると、それを真似たダブル裾のズボンがすぐに出回り、スーツにスコットランド地方のグレンチェック柄を使われるとたちまち同じ柄が大流行。
ラグラン袖のコートの流行も、もともと漁師が着ていたセーターがお洒落なアイテムとして認知されたのも、ウィンザー公の功績だとされています。
ネクタイの大きな結び目を「ウィンザーノット」、襟の開きが広いワイドスプレッドカラーを「ウィンザーカラー」と、ベストドレッサーだった公にちなんだ名前が今も使われています。

このお洒落で名高いプリンスを間近に見て、
「さすがは大英帝国のプリンス・オブ・ウェールズ、なんとも粋なもんだなぁ」
と、長門の若手士官たちが殿下の斜め帽子にいたく感心した話が、阿川弘之の名著「軍艦長門の生涯」に出てきます。
元来若手士官たちは、軍帽を怒られない程度に潰してみたり、帽章にわざと海水をかけて緑青をわかしてみたり、海軍流のお洒落をあれこれ工夫していました。
そんな彼らがエドワード殿下の帽子の角度に注目したのも無理はありません。
実際にこのとき長門乗組だった高崎正光中尉(海兵46期)は、以後エドワード皇太子を真似て斜め帽子で押し通したそうです。
男爵でもあった高崎中尉は暢気でお茶目な性格だったので、
「またあいつは仕方のない」
と苦笑いされて、本来なら日本海軍では許されない斜め帽子も彼に限り大目に見てもらえていたそうな。
高崎さんの海兵46期は、武蔵艦長猪口敏平少将や瑞鶴艦長貝塚武男少将など、勇猛果敢な艦長を輩出した期です。
高崎さんはその暢気な性格のためかどうかはわかりませんが、開戦前に予備役少佐で海軍生活を終えられ、戦死することなく無事終戦を迎えられました。

DVD‐BOXの付録に、大石さんは前原さんとの差別化を狙って斜め帽子にした、という制作サイドの裏話が載っていましたが――
大石さんも皇太子が来日した1922年にはまだ中尉ぐらいだったはず。
ひょっとすると大石さんの斜め帽子もエドワード殿下に影響を受けたものかもしれませんね。