◆潜水艦暮らし


以前、このコーナーで深々度潜航中のトイレは空き缶を使用と書きましたが、この空き缶、よくこけたそうですね航海中に。
宙返り航行なんかしていた亀天号、だいじょうぶでしたかね?
……考えない、考えない。
後世のテクノロジーを駆使した亀天号、きっとトイレも前世を凌ぐ改良型でありましょう。
今回のどーでもいいことは、潜水艦の中での暮らしはどんなものだったのか――
あいもかわらず下世話な内容ですが、どうぞよろしくおつきあいくださいませ。

潜水艦のトイレも軍艦と同じく士官用と兵用に分けられていました。
しかし「緊急」時にはどちらを使っても構わないという、他の軍艦では考えられないおおらかなものでした。
士官だからといって優先権があるというわけでもなく、艦長も機関長もトイレ待ちの列にきちんと並んで順番待ちをしたそうです。
軍には珍しい平等なトイレ事情ではありましたが、百人を超える乗組員に対してたった二つのトイレ、しかも潜航中はなるべく使うなという悪条件……。
並んでようやく個室に入っても、せかされておちおちしゃがんでいられず(潜水艦は和式便器)、乗組員は慢性便秘に悩まされたといいます。

トイレ同様、どんな艦にも士官室というものがありまして、兵と士官は部屋をきっちり分けておりました。
狭苦しい潜水艦も例外ではありません。
士官室はちゃんとありました。
ただ潜水艦では、部屋ではなくて通路を仕切った場所を士官室と呼んでいただけです。
士官室でありながら、通路でもあるわけですからみんなが遠慮なく通ります。
そして狭い艦内ですから、ちょっとの隙間にも予備の部品や缶詰類がギュウギュウ押し込んであったりします。
士官室とは名ばかりで、実態は通路兼物置。
潜水艦の寝床はハンモックではなく兵も士官もベッドです。
ベッドといっても座ると頭を打ちそうな二段、三段になったカイコ棚で、艦の動揺で振り落とされないよう荒天時には体を二箇所ベルトで固定することになっていました。

潜水艦の中は暑いです。
冷房装置はあるにはあるんですが、機器を冷却するのが精一杯で、居住エリアまではなかなか手が廻りません。
冷房の主目的は充電後の電池の冷却でした。
潜航中の潜水艦は蓄電池で航行しております。
それでも南方の海が主戦場と予想されたので冷房の改良研究が進み、新造潜水艦の居住性は初期に比べて格段によくなりました。
具体的には昭和十四年からフレオンガス式冷却機が装備されたのですが、それでも暑い。
赤道付近の海水温度は三十度以上。
それにせっかく冷房装置があっても、敵の聴音機が心配なときは使用できないことがあります。
そうなるとあっという間に艦内の温度は上昇します。
熱を出す電池室の真上や機械室は四十度になったとか。
……当時の軍医長の報告書には、湿度が百パーセントに近い潜水艦内では、室内温度三十度までは何とか睡眠をとることができるが、三十二度を越すと睡眠は困難、と書かれております。

熱と湿気のこもる艦内で、軍服をきちんと着ている、なんてことはとてもじゃないけど無理でした。
熱帯の海にいる潜乗員は、艦長であってもチヂミのシャツに半ズボンが普通でした。
ひどい人になるとフンドシ一丁に手拭一本(^^;
手拭は腹に巻きつけて汗止めにしていました。
なぜかって?
手拭無しでは汗がふんどしを濡らしてしまって、インキンになりやすいうえに、シースルーになって見苦しかったからです(^^;
前原さんも若いときは旧型潜水艦に乗り込んでらしたはずですが……考えない、考えない。

海の中では換気ができないので、潜航中の潜水艦では空気清浄装置を使って炭酸ガスを薄めていました。
空気清浄装置、といっても通風管に苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)の入った缶を取り付けただけのものです。
苛性ソーダに二酸化炭素を吸着させようというんですね。
戦後、闇市に出回っていた石鹸が潜水艦の苛性ソーダ缶の中身だったという話もあります。
この空気清浄装置、使うと送風電動機が騒音を立てるので敵地では使えませんでした。
騒音は聴音探知されてしまいます。
もう一つの炭酸ガス緩和対策は圧縮酸素を放出することですが、これをやると艦内気圧が上がります。
気圧を戻すには圧搾機械を運転しなくてはなりませんが、これがまた騒音のもと。
結局、日の出前の一瞬を狙って、慎重に浮上して換気するしかありませんでした。
換気、という点においては、昔のほうがうんと気楽だったようです。
戦争初期までは敵にレーダーがなかったので、潜水艦は夜になると安心して水上航行することができました。
浮上して艦内に新鮮な空気を取り込み、上甲板でタバコを吸ったり、煮炊きものをしたりしました。

空気の汚れも困りますが、食事の問題も深刻でした。
潜航が続くと煮炊きができませんから、食事は缶詰になります。
いなり寿司の缶詰、五目御飯の缶詰、お餅の缶詰……多種多様。
なんだかご馳走のようですが、さすがに缶詰ばかりだと飽き飽きしたそうです。
缶詰を開けたときの缶特有のにおいがプーンと鼻について、「パイナップルの缶詰でも食べる気になれなかった」とか。
ドイツの潜乗員は「ライ麦パン」の缶詰を主食にしていたそうな。
それにバターとジャムをべったりと塗って、缶詰ソーセージと缶詰ジャガイモをおかずにして、ドイツ潜乗員はとくに食欲不振に悩まされることもなかったそうです。

さて、食べれば当然出るのが、空き缶、残飯、その他の汚物。
浮上した際にソレッと捨てるわけですが、それがまた大変でした。
司令塔のマンホールのような出入り口から、ロープの先に汚物缶を吊るして、井戸水を汲み上げる要領で引き上げていきます。
ロープの長さは十メートルは必要でした。
しかも途中にはラッタルや電気配線がごちゃごちゃついているので、途中でロープが引っかかったりしました。
それに常に揺れている波の上でありますから、まったく汚物をこぼさずに上まで引き上げるのはなかなか困難なことでありました。
真下は発令所です。
ときには計器類の前に座っている士官たちの頭の上に、バシャッとやることもあったそうです。

海軍の号令に『食事五分前!』『総員手を洗え!』というものがあります。
潜水艦でもこの号令は使われました。
で、潜水艦の乗組員はどんな手の洗い方をしたか?
潜水艦では水はまことに貴重品です。
潜航中は海水にさえ不自由します。
ですから水で手を洗ったりいたしません……ぼろぎれで手を擦る、それが潜水艦の『手洗い』でありました。
ラッタルなどは、そういう洗ってない手の人が握るのですぐにヌルヌルになりました。
潜水艦乗りは足だけでなく、手のひらにまで水虫ができたそうです。
洗わないのは手だけではありません、顔も洗わず、歯も磨かず。
一ヶ月ぶりに洗面した、なんて記述が潜水艦乗組員の日記に出てまいります。
潜水艦の真水タンクは一人当たり一日一リットルの計算で積み込まれていました。
たった一リットルの貴重な水……口をゆすぐのも惜しかったのです。
そういうわけで、潜水艦乗りは上陸しても歯磨きという習慣をついつい忘れがちで、家族の顰蹙を買ったとか。
高温多湿の艦内でずっとお風呂にも入れず(場合によっては七十日)換気もろくにできない密室内に、そんな口臭体臭のものすごい野郎どもが詰め込まれていた潜水艦……。
前述の潜水艦乗組員の日記に曰く
「世の中に潜水艦乗りほど物臭いのもないだろう。便所の悪臭もなんとも感じなくなってきた……不衛生なことは乞食のそれよりまだ低いだろう……」
――『潜水艦伊16号通信兵の日誌』(石川幸太郎著・草思社刊)より引用

それでもお正月や上陸前の特別なときには、水浴用に真水が支給されることもありました。
そんなときの潜水艦式水浴とは……。
1 口をゆすぐ
2 顔を洗う
3 少し濡らした石鹸を全身にこすりつける
4 ぼろぎれでごしごし擦って石鹸分と垢をよじり落とす
5 そのあと濡らしたタオルで拭きあげる
人間の身体でさえそんな調子でありますから、洗濯などできるわけもありません。
垢まみれの衣服は一航海終わるころには、洗っても汚れが落ちなかったそうです。
艦内では艦長以下乗組員全員が作業服にズック靴だった潜水艦ですが、上陸に備えて軍服一揃いをチェストに仕舞っておかなければなりませんでした。
ところが艦内は湿気の逃げ場がないので、内壁はいつもしずくが垂れているほどです。
引き出しの軍服はあっという間にしわくちゃのカビだらけに成り果てます。
トラックやクェゼリンの基地に無事着くと、士官も兵も甲板一面に毛布や軍服を広げて乾かし、他の軍律厳しい艦艇の乗組員たちを仰天させたとか……。

規律が緩い、もしくは行儀が悪い。
良く言えばアットホーム。
それが一般的な潜水艦のイメージでした。
理不尽な隊内暴力は軍隊の悪しき習慣でありますが、大きな軍艦になるほど下級兵のしつけに厳しく、些細なことを口実に「バッター」とか「甲板整列」と称される私的制裁が行われておりました。
それが駆逐艦などの少人数の艦になると「甲板整列」はうんと減り、潜水艦にいたっては皆無だったといいます。
涼しい甲板で胡坐をかいて、兵も士官も和気藹々と同じ鍋のものを突付く……そんな他の軍艦では考えられないような食事風景も潜水艦ならではでした。
「どん亀」という言葉があります。
これは潜水艦を指す言葉で、潜水艦乗りは自分たちのことを「どん亀乗り」と称しました。
陽気で家族的な潜水艦気風を彼らは誇りにしていました。
潜水艦乗りを養成する潜水学校が掲げたモットーも「明朗闊達」でありました。
劣悪な艦内環境に耐え、戦場ではもっとも消耗の激しい潜水艦……そんな中でどん亀乗りが一番大切にしたのは「明朗闊達」という人間性だったのです。