◆アイスランド沖海戦の疑問点


12月はほんと日の暮れるのが早いです。
一年で一番昼が短いのは冬至ですが、日の入りが一番早いのは冬至よりも20日ほど早い今頃です。
12/1の京都市の日の出は6:46、日の入りは16:45。
17時を回るとそろそろうす暗くなりだします。
ところが南北に長い日本列島、北海道の根室市では日没は15:43、なんと京都より一時間も早く日が暮れているんですね。
……根室で四時前に日が沈むんだったら、もっと北、ほとんど北極圏のイーサ泊地はどんな様子だろう?
冬至の日のイーサ泊地の日の出時刻は12:07、日の入り時刻は14:55であります。
アイスランドはイギリス本土と同じタイムゾーンに入っているせいで、本来の正午の時間が一時間半ほどずれております。
実際に太陽が真南にくるのは12時ではなくて13時半になります。
しかも最も昇った高さが0.6度なので、頭だけ出した太陽が地平線上をツツーと移動していく感じになります。
……今回のどーでもいいことは、12月のイーサを舞台にした「アイスランド沖海戦」を天文面からチェックしてまいります。

さて、前原さんがイーサに到着したのは12月8日、冬至前のたいへん日の短い時期でした。
亀天号がイーサに近づいたとき
「日没まで(浮上を)待つか」
と、前原さんが言ってます。
さすが慎重であります、前原司令官。
それはいいんですが、亀天号が浮上したとき司令所の時計は七時を指していましたね。
もしこの時計がアイスランドの時間に合わせてあったとしたら、前原さんはなぜか日没後4時間も待機していたことになります。
……慎重すぎます、前原司令官(^^;
日本時間の七時を指していたのなら、22:00または10:00ということになりますから、もっと変。
いったいどこのタイムゾーンに合わせてあるのか、謎の時計であります。

余談になりますが、広い海域で活動する海軍は時差をどうやって調整していたのか?
……答えは原則として調整せず、であります。
『使用時ヲ中央標準時ト定ム 但シ要スル場合ハ海軍艦船使用規則ニ依ル時刻ヲ附記スルモノトス』
という内令が昭和16年に出ています。
 *注 かつて大日本帝国には五つの「標準時」が存在していました。
 中央標準時(東経135度 本土・朝鮮・千島・樺太)
 西部標準時(東経120度 八重山・宮古・台湾・澎湖)昭和12年廃止
 南洋群島西部標準時(東経135度 マリアナ諸島・カロリン諸島・マーシャル諸島の該当各島)
 南洋群島中央標準時(東経150度 同上) 
 南洋群島東部標準時(東経165度 同上)


ハワイに行こうが、シンガポールに行こうが、海軍は日本時間のままでした。
たしかに違うタイムゾーンに艦が出入りするたびに時計を調整していては混乱します。
それでどこへ行っても日本時間で押し通したそうですが、朝食が午前二時半、夕食が午後一時になるなど、ハワイ作戦の実施部隊にはいろいろな苦労があったそうです。
現在、自衛隊の海外派遣部隊は現地時間で行動しています。
出撃以来5年近く大西洋で暮らしていた旭日艦隊も、現地時間で生活していたのではないでしょうか?
2、3時間のずれならともかく、時差は9時間もありますからね。
真夜中に露天甲板磨きをやれと言ってもできますまい。
では世界中あちらこちらに神出鬼没の紺碧艦隊は?
潜水艦内なら昼夜が逆転してもあまり支障はないようにも思えますが、どうなんでしょう?
ちなみに商船では正午に太陽が真南に来るように、毎朝船内時計を少しずつ調整しています。
ですが他船との連絡や報告書には必ずグリニッジ標準時を併用して正確を期すそうです。

話が変わりますが、太陽が昇る前や沈んだ後でもしばらく空は明るく、すぐには真っ暗にはなりません。
これは上空の大気の塵が光を散乱させているために起きる現象です。
この空に明るさが残った夜明け前・日没後の時間を薄明(はくめい)と申します。
沈んだ太陽が地平線の下マイナス6度以内にあると、手元がはっきり見えて戸外で作業ができる明るさが残っています(市民薄明)
太陽高度がマイナス12度以内ですと、空は暗くなってもまだ水平線がはっきりわかります……天測が可能なのはこの時間までです(航海薄明)

アイスランド沖海戦は12月9日の朝に行われました。
 イーサ泊地での日の出時刻11:45。
  * 今年度の数値を使って計算したので、実際(1949年)とは数分の誤差があるかと思います。
太陽が地平線下マイナス6度に位置する「市民薄明」になるのは10:12。
それまではまだ星が普通に見える夜明け前の暗い空であります。
前原さんは朝風呂にいかれたそうですが、何時ごろだったんでしょうね?
「北の海を見下ろしての露天風呂はたまりません」
なんておっしゃってましたが、真っ暗闇じゃなかったですか?

戦闘が始まったとき
「防空軽空母より合流は1200とのこと!」
「間にあわん、それでは!」
という会話がありましたから、戦闘は午前中に始まっていたことになります。
しかしながら朝の時間帯では都合が悪い。
700とか800という軍艦の朝の時間では、日の出の極端に遅いイーサ泊地ではまだ真っ暗闇です。
アニメの背景描写が正しいとすれば、空が明るくなってくる「市民薄明」以降の時分でなければなりません。
長官室の舷窓の外といい、爆撃機の飛ぶ上空といい、えらく明るかったですもの(幸い太陽そのものは描かれていなかった)……あの様子では10時より前ではありますまい。
また「軍艦日課」では日本海軍の昼食タイムは11:45よりと定まっています。
大石さんが暢気にコーヒーを淹れていたところをみると、昼食直前でもなさそうです。
あと少しで昼食という時分に誰もコーヒーをわざわざ淹れたりしないでしょう、普通なら。
以上のことから、大石長官と前原さんのあのコーヒータイムは10時すぎ〜11時前だったのではないかと推察されます。
会話の感じから朝食前のコーヒーなのかな?というイメージがあったのですが、そうだとすると外の様子が明るすぎます。
どうやら『ふたりで夜明けのコーヒー』ではなかったようで(^^;
  *軍艦の朝食時間は冬季は7:00もしくは7:15。状況により総員起床を30分遅らした場合のみ、朝食を15分遅らせることが出来る。

さて、独爆撃機の襲撃を察知した旭日艦隊はイーサ泊地を出て、逆に敵機動部隊を追撃いたします。
アニメ画面の地図によりますと、会敵地点は西経30度北緯60度といったところでしょうか、大雑把ですが。
イーサ泊地からは直線距離にしてざっと750キロあります。
最大戦速27ノットで急行したとして、到着は15時間後。
……ええーっ(^^;
お昼前にイーサ泊地を出発して15時間後というと真夜中の2時ごろ。
アニメではお日様がサンサンと照っておりました(^^;
ついでにいうと、会敵地点と思われるあたりの日の入り時刻は17時前(イーサ泊地と同じグリニッジ標準時で計算)
お日様のあるうちに到着しようとすると、旭日艦隊は時速125キロで飛ばしてこなくてはなりません。
……無理ですなぁ、いくら後世だって。

※追記
原作では会敵は翌日の午前6時となっています。日の出は9時頃なので、当然外は真っ暗です。


もうひとつ――トロンヘイム基地から発進するとき、ヨルムンガンドは「イーサまでは2時間」と言っていましたね。
ノルウェーのトロンヘイムは北緯63度東経10度。
発進するとき照明弾を使用していましたから、まだ夜明け前だったようです。
トロンヘイムがすっかり明るい「市民薄明」になるのは7:33(グリニッジ標準時)
その時刻以前に出撃したということですから、イーサ爆撃は9時半以前という計算になります。
その時刻のイーサならまだ「市民薄明」になっていなくて、ぼんやりと青みがかった夜明け空のはず。
逆にイーサ爆撃が10時すぎ〜11時前と想定すると、トロンヘイム発進は8時〜9時ごろとなります。
この日のトロンヘイムの日の出時刻は8:41ですから、もうすっかり朝で照明弾は必要ありません。
……どっちにしても辻褄が合いません。

残念ながらOVA「紺碧の艦隊」は天文的な考証に関して、かなりえーかげんだ、と言わざるを得ません。
……というか、まるっきり考慮されなかったようで。
そもそもアイスランド沖海戦は空中戦描写からして無理がありました。
12月のアイスランドとグリーンランドの中間の高緯度海域で、太陽が高く昇るはずがありません。
いつも水平線スレスレの太陽では、何時のどういう角度から捉えても飛行機の頭上に陽が輝くという構図にならないはずです。
独特の色使いで表現された北大西洋の海と空はとてもきれいだと思うんですが、高緯度地方という設定をもう少し実際的に活かしてほしかったです。
どーでもいいことではありますが、あれれ?な点が重なるとやっぱり落ち着かんなーと思った管理人でありました……。