◆艦隊厠(かわや)考2

海軍のトイレは洋式トイレ。
今でこそあたりまえな洋式便器ですが、普及しだしたのは戦後に公団住宅が導入してからであります。
当然ながら戦前ではまったく普及しておりません。
昔の一般公開では、兵員用のトイレを男性見学者に、士官用トイレを女性見学者に提供したのですが――みな使用法がわからないまま切羽詰って用を足したので、見学終了後の惨状は厠番が悲鳴を上げるほど強烈だったそうな。

前回、戦艦長門の兵員用厠は、仕切り・ドアなしの便器だけがずらっと並んだ丸見えトイレだったと書きましたが、これは英国流厠を直輸入したためです。
イギリスといえば当時の大文明国でありますが、文化の違いでしょうか、下士官兵のプライバシーに対してはずいぶん配慮のない仕様だったようで……。
当初戦艦はすべて諸外国に発注していた日本海軍も、大正時代には超弩級艦を造れるようになりました。
長門も呉工廠で作られた国産戦艦ですが、まだまだ内装は英国流をそのまま踏襲していたようです。
霧島・扶桑・伊勢などの長門より以前に作られた大正前期生まれの戦艦も、すべて“英国式厠”でした。
その霧島も昭和の改装でドアと仕切りのあるトイレになり、昭和生まれの大和になると最初から便器の半分は和式……と厠は徐々に日本風に変えられていきました。
仕切りなし洋式トイレだった長門も、昭和11年の大改装で兵員厠の一部が仕切りつきの和式便器になっています。

海軍の隠語では小さいほうを「スモール」と称します。
では大きいほうがラージかというとそうではなく、「グレート」もしくは「ケーユー」なのであります。
KUSOですからKU。
「グレート」と「ケーユー」には微妙なニュアンスの違いがあるらしく
「グレートにいってくる」
「ズボンにケーユーがついた」
のように使い分けていたそうです。

「もう一歩、捧げ銃、帽振れ」
というのが海軍厠での心得なり。
具体的に説明すれば、「もう一歩前に進み出て便器に近づき、両手で支えてこぼさず、よく振ってしずくを切る」でしょうか。
海軍施設を見学した人が一様に感心するのが、厠の清潔さだそうです。
海軍厠が汚れていないどころか敷石まで乾いているのは、このトイレマナーの励行の賜物であります。
洗面所でも必ずハンカチを使い終わってから歩き出しますから、床が濡れることがないのです。
海軍士官たるもの、ズボンの窓を閉めながら歩いたりとか、手水を落としながら厠から出てきたりとか、みっともない真似はけっしてしてはならないのでした。

洋式主流の艦船厠に対して、兵学校の厠は水洗でしたが便器は従来の和式のままでした。
大便所の扉には帽子掛けがありまして、ここに帽子を掛けて使用中の合図にします。
個室に入るとまず便器に紙を一枚敷き、しかるのちに使用するのが作法とか。
なるほどそうすれば便器に汚れがつきません。
また個室は奥のほうから詰めて使うようにします。
手前の個室は緊急事態の人がサッと入れるように空けておくのが海軍式心配りなのでした。

とにかく磨き掃除拭き掃除が大好きな海軍。
艦内日課の最後に行われる巡検では、副長が甲板士官や掌長たちを従えて、時間をかけて艦内をくまなく見回ります。
不潔になりやすい厠はことに念入りに点検されました。
「ほんとうにきれいに掃除したんだな?」
「はいっ」
ここで
「じゃ、おまえ、便器を舐めてみろ!」
と言うようでは下劣なイジメになりますが、逆に
「じゃ、俺が舐めても大丈夫なんだな?」
と言って、実際に便器の縁を人差し指でこすって嗅ぐのが海軍式。
ちょっとでもおかしな臭いがしたらドヤされますが、そこまで調べてはじめて
「……よし!」
と言ってもらえるわけです。
手抜き掃除はできません。

このように徹底的に掃除をし、便器の横に昇汞水(しょうこうすい、手指用の強い消毒液)を用意するなど、海軍厠では衛生に大変気を遣っていました。
しかしながら艦隊ではしばしば赤痢・腸チフス患者が発生いたしました。
――昭和5年、戦艦山城に赤痢患者が集団発生したときの話。
赤痢はいわゆる法定伝染病です。
すぐに感染者を隔離しなければなりません。
軍医長はさっそく全乗組員に検便を実施しましたが、隔離されて上陸がフイになるのがイヤだったのでしょう、おなかの調子の悪い者は同僚の便でごまかしてしまったので、まったく効果が上がりませんでした。
そこで軍医長は厠に衛生兵を派遣して、流す前の便をいちいちチェックさせました。
ところがこの作戦も成功しませんでした。
今度は自覚症状のある兵は厠を避けて、厠以外の場所で“野糞”するようになったのです。
用具庫の中や砲塔内に水っぽいケーユーがみつかるようになり、ますます衛生環境は悪化し……とうとう山城は艦長以下乗組員全員が保菌者とされ、訓練は中止、総員海軍病院送りになりました。

兵員厠と兵員居住区は大きな艦になるとかなりな距離がありました。
迷路のような通路をクネクネと辿らなくてはならなかったので、艦によっては200メートルほどの距離にもなったとか。
トイレに行くのに徒歩3分、なんて辛いですね。
また進水後の艦内の内装工事に携わった職工にとってもトイレ問題は深刻でした。
入り組んだ広い艦内のどこをどう行けばトイレにたどり着けるか、慣れないうちは時間がかかって大変なのでした。
中にはトイレ発見前に限界が来てしまった、もしくは遠出をするのが邪魔臭くなった不心得者もいたのでしょう……艦の人目につかない場所には水溜りができることもあったそうな。
艤装中には艦の水漏れチェックが念入りに行われます。
その日も艤装員と担当技官が艤装途中の艦壁に水漏れがないか見回りをしていました。
と、ある区画の隅に怪しげな水溜りを発見!
止める暇もなく、さっとその技官は水溜りに指を浸して味見をしたそうです。
「……ああ良かった」
その技官はほっとした様子でため息をつきました。
「塩辛くない。海水じゃなくって良かった」
海水じゃなかったらなんなのか、ということより先にその技官は漏水をまず心配したのでした。

味見つながりの美談(?)をもうひとつ。
ある艦長、頂き物の高価な洋酒を艦長室でときおりちびちびと楽しみに飲んでおりました。
ところがこの頃どうもボトルのお酒の減りが早いような気がいたします……。
犯人は従兵か? のんべえの軍医長か? 酒に目のない航海長か?
上に立つものが部下を疑うなんて悲しいことです。
とはいえ、些細な事と甘く見過ごしておいては艦内の軍紀の乱れにもつながりましょう。
艦長、しばらくボトルを睨んでおりましたが、やがて一計を案じまして、やおらボトルを逆さにするとこっそり目印をつけました。
……ボトルを逆さにしたというところがミソなんですね、普通にお酒の横に目印をつけたらすぐに気づかれてしまいますから。
さて、そうして印をつけておいて、どうか自分の気のせいであってくれと祈りながら、その翌日の晩、艦長はまたボトルを逆さにしてみたのです。
お酒はほんの少しですがたしかに減っておりました。
(うーむ、やはりドロボウがおるようじゃ!)
艦長は渋い顔つきで腕組みしておりましたが、戸棚の奥から空き瓶を一本取り出してきまして、それにくだんの洋酒の残りを全部移し変えると、戸棚の奥に押し込んで隠してしまいました。
そしてカラになった元のボトルを持ったまま、艦長専用厠へと向かったのでした。
ほどなくして厠から出てきた艦長の手には、あら不思議……!
カラだったボトルにちゃんとウィスキーが入っているではありませんか。
色もそっくり、量もぴったり、ただし、まだほんのりと温かい……。
艦長は何食わぬ顔でボトルにしっかりフタをすると元の棚に置きました――不届き者に天罰を下そう、というわけですね。
さてさて次の晩、艦長がボトルを調べてみるとちょうど昨日と同じぐらい、わずかですがまた中身が減っています。
たまたまこの日、艦長室にはひとりも来客がありませんでした。
(これでわかった、犯人は従兵だわい!)
艦長は従兵を部屋に呼びつけました。
「これ、酒の味はどうだったかね?」
単刀直入にそう尋ねてやると、従兵はきょとんとして首をかしげております。
「隠さんでもよろしい、おまえがコッソリこの酒を飲んでおったのは知っておる」
艦長が机の上のボトルを指差してそう決め付けると、真面目そうなその従兵は
「いいえ、そのお酒でしたら艦長のお紅茶に入れておりました」
――艦長は従兵に疑いをかけたことを深く恥じ入り、男らしくその場で頭を下げて詫びました。
そして天罰が当たったのは自分だったと反省したそうです。
それにしても、その日艦長室に来客がなくて良かったですねぇ、ホント……。



 ※参考図書
 『元海軍教授の郷愁』平賀春二著/海上自衛新聞社
 『海軍式気くばりのすすめ』幾瀬勝彬著/光人社
 『軍艦長門の生涯』阿川弘之著/新潮社