◆舞踏会


大石は白い軍装に身を包み、隆とした姿で私室を出た。
礼装ということで胸にはたくさんの勲章が飾られており、腰には長剣が吊られている。
白い軍服の左胸にひときわ目立つ深紅の勲章がビクトリア・クロス……。
マーガレットの父の曾祖母にあたるビクトリア女王が制定した英国最高の勲章である。
この勲章がマーガレットとの出会いになった。
大石にとって特別な想いのある勲章である。
今夜はそのマーガレット女王に仮王宮での舞踏会に招待されている。
招待状にはごく内輪の舞踏会……とあったが、この舞踏会はメアリ王女の結婚披露パーティーを兼ねていた。
メアリ王女は女王の妹で、先日、従兄弟にあたるギリシャの親王殿下と結婚した。
ロンドンが占領されているため、慣例となっているウェストミンスター寺院での式は望むべくもなく、祝典行事も訪問行事も執り行われなかった。
この舞踏会は新婚のメアリ王女への、せめてものはなむけであった。


ごく内輪とはいうものの、大石が仮王宮の大広間に着いたときには、英国の主だった貴顕紳士が顔をそろえていた。
チャーチル卿もいれば、なんとかという公爵や大司教もいる。
日本の大使は招待されているのかどうか、見たところ日本人らしき姿はひとりも見当たらない。
時節柄、軍服姿の軍人が目についたが、華やかなドレスの色彩の渦、まばゆい宝石のきらめき……むせ返るような香水の匂いを振りまく人々の列……ここがスコットランドの小都市で、今が戦争中であることを忘れさせるような光景だった。
大石は大広間の片隅にしばらく首をかしげて立ち止まっていた。
女王の御座所はずっと奥だし、この人垣をかき分けてずうずうしく進む気も起きなかった。
大石は肩をすくめると、軍服の一団に近づいていった。


大石が顔見知りの軍人たちと談笑していると、まもなく女王からのお呼びがかかった。
「大石提督は陛下のお気に入りですからな」
英国の将軍たちがやっかみ半分にそう言うのも無理はなかった。
昼食会でも会議でも大石の席はいつも女王の近くに用意される。
側近の話では女王のたっての希望でそうセッティングされるそうだ。
大石が「お気に入り」どころか女王の「意中の人」だとはまだ誰も気が回らないらしい。
女王のお召しを受けて大石は女王の前に進んだ。
侍従の先導で大石の前の人垣がさっと開かれ、すらりとした女王の姿が奥の間に見える。
今宵のマーガレットは淡いクリーム色のドレスとティアラでことのほか美しく装っていた。
大石の感嘆を彼の目から読み取ってマーガレットはにっこりと笑う。
大石が女王と王女夫妻に挨拶して御前を下がろうとすると音楽がひときわ高く鳴り響いた。
女王は大石を引き止める。
「踊っていただけますか、提督」
「陛下が私とですか? せっかくですが遠慮いたします」
「提督は踊れないのですか?」
「不得手なのは間違いありません」
「私とでもおいや?」
大石は女王の言葉が聞かれなかったかあたりを思わず見回した。
ちょうど舞踏が始まったことで誰もがそちらに気を取られているようだった。
「陛下……お気をつけ下さい」
大石は咎めるようにマーガレットに囁いた。
「踊ってくださいますわね?」
マーガレットはどこ吹く風という表情で強引に大石に迫る。
「お断りですね。そんな派手なことができますか」
ワルツの演奏の高まりにまぎれて大石も小声で言い返した。


人々から歓声が上がった。
メアリ王女と夫君がフロアに手を取り合って現れたのだ。
二人は人々の輪の中をくるくると軽やかに踊っていく。
「さ、提督。私たちも」
マーガレットは大石の腕に手をかけた。
「人目に立ちすぎるから駄目です」
「おいやでも引っ張っていきますわよ」
マーガレットは本当に彼の腕を引っぱった。
「なにをなさるんです! 人が見ます!」
大石が慌てて小声で女王を制止しようとしたがすでに遅し……
周囲の人の注目を二人は浴びてしまっている。
こうなると仕方がない。
大石はしぶしぶ女王の手をとった。


「言っておきますが、足を踏むかもしれませんよ」
最初はそんなことを言って不承不承な大石だったが、腕の中の美しいマーガレットに微笑まれるとついつい楽しくなる。
「おっしゃるほど下手ではないわ」
「欧州旅行以来ですよ、ダンスは。かれこれ15年ほど前になりますかな」
「そんなに?」
「ええ。……しかし綺麗だな、あなたは。ぼおっとしてしまいそうですよ」
「まあ……」
マーガレットは頬を染める。
笑顔の大石も素晴らしいと彼女は思う。
白い軍服の大石がここにいる誰よりも凛々しく思える。


「あと何人か、誰でもいい、幕僚長でも侍従長でもいいから踊ってください。でないと困ります」
大石は少し真顔になると女王に囁く。
「……わかりましたわ」
女王もしおらしく素直に頷く。
「……でも最後にもう一度踊っていただけますね? 大石さま」
ねだるようにマーガレットは大石に甘く囁く。
「いいえ。私はもう失礼させていただきます」
「もうお帰りになるのですか?」
「あなたがほかの男の腕に抱かれているのを見たくない。私は嫉妬深いほうでしてね」
大石が片頬だけでにやりと笑う。
大石が嫉妬?
マーガレットには大石のそんな姿が想像できなかった。