◆レディ・クレア
(マーガレット女王が話しかけて)
ねえ、クレア。
聞いて欲しいの。
あのね、私、好きな人がいるの。
……うふふ、驚いた?
私、その人と結婚したいの。
力になってくれる? クレア。
ええ、貴族ではないわ。
外国人よ。
クレアもたぶん知っている人よ……。
(レディ・クレア マロウェイ伯爵夫人の語る)
私はマーガレット様の御養育係として、ご幼少時からずっとおそば近くにお仕えしてまいりました。
前国王のご即位に伴い、マーガレット様は十五歳にして王位継承者となられました。
そして、この戦争が始まってまもなくのお父上のご発病、そしてご崩御。
マーガレット様は御年十八歳にしてご即位遊ばされたのでございます。
以来、九年……。
戦争はやまず、本土の空襲は激しさを増し……宮殿を離れ、このインバネスにお移りになり……。
まことにおいたわしい陛下……。
花の青春の盛りを暗い戦火の中でおくってこられました。
おひとりで王位の重みを背負われるのはあまりなことと、ご結婚をお勧めしたこともございます。
なのにどういうわけか、アレグザンダー殿下はお妹君のメアリ王女とご結婚なさってしまいました。
私にはどうも陛下がおふたりの間を取り持たれたような気がいたします。
ヨーロッパはナチスの軍靴に踏みにじられ、欧州王室はすべて国外亡命している有様。
ご結婚相手として相応しい方も見当たらず……陛下も二十七歳になられてしまって。
結婚……!
私は陛下の突然のお言葉に仰天してしまいました。
まったく浮いた噂のひとつもない陛下にそんなお相手がいらしたなんて……!
私は片っ端からおそば近くの男性の顔を思い浮かべましたが……思い当たるような人物はおりません。
警備の武官の誰かかとも思いましたが……外国人?!
外国大使の誰か?
いえ、ひどい年寄りばかりですし……。
私にはさっぱり見当がつかず、陛下の美しいお顔をおみつめ申し上げたのでございます……。
あのね……驚かないでね、クレア。
いやね、そんなにじっと見ないでちょうだい。
……大石提督。
旭日艦隊の大石提督よ……。
私は陛下のおっしゃる意味がしばらく理解できませんでした。
アドミラル・オオイシ……?
まさか、日本人?!
陛下! お待ち下さい!
そんな、そんな……!
あら、やっぱり驚いたわね……。
私、退位したいの。
退位して大石さまのおそばに行きたいの。
あの方が好きなの。
退位!
お待ち下さい、陛下!
なんということをおっしゃいます!
……私はあまりのことに動転し、必死で陛下をお諌めいたしました。
これまでこんなにご立派に国を治めておいでになった陛下が。
女王として国中から敬愛されている御身が。
退位なされる!
極東の軍人風情のために!
誰もが反対いたしますでしょう、そのようなご結婚は。
……陛下は何もおっしゃらず、興奮した私の言葉をただじっと聞いておいででした。
そのマーガレット様の美しいお顔……。
思いつめたように頬に少し血の色を上らせた、その凛とした麗しさ。
ああ、マーガレット様。
どうかそのような情けないことをおっしゃらないでくださいまし。
あんまりでございます。
これほどに美しく気高い私どもの自慢の陛下を、なんで黄色人種などに渡せましょうか!
(マーガレット女王の語る)
あんまり人種をうんぬんしては、あのヒトラーを笑えませんわよ……。
クレアは大石さまと話したことはなかったのかしら。
少しでもお話すれば、あの方の魅力がわかるでしょうに。
クレアの反応は英国人としてはごく普通な反応なのでしょうね。
だから、私は退位すると言っているのよ。
東洋人の血を王室に入れたくないと言うのなら、それでいい。
私は退位して、英国でのすべての権利を放棄するわ。
誰に何と言われてもいい。
国民が私に石を投げてもいい。
私は大石さまを選ぶわ!
(レディ・クレアの語る)
……マーガレット様のこのお顔。
きかん気なこの御表情はお小さいときと変わらない。
この方は普段は従順でとても素直な方だけど、いったんこうと決められたらテコでも動かぬ頑固さがある。
このご性格だけはどうしても矯めることが出来なかった。
ああ困った。
これはもう、お止めしてもたぶん無駄だ。
ヘタにお止めすると、マーガレット様は何をなさるかわからない。
……なんですって! 修道院!?
なんということをおっしゃいます!
マーガレット様を尼僧になどと、亡き国王陛下になんとお詫びすればよろしいのです?!
……ああ、夫が来た!
あなた、陛下が……私たちのマーガレット様が……。
(儀典長マロウェイ伯の語る)
あまりな陛下のご相談事に私も家内も途方に暮れていた。
強くお諌めする我々の言葉に、陛下は涙をこぼされた。
ぽろぽろと涙が陛下のお膝にこぼれ落ちる。
陛下はきついお顔で一点を見据えたまま、涙を拭こうともなされない。
強情で片意地なかわいいわがまま姫だったお小さい頃のままだ。
ほんのよちよち歩きの頃から、マーガレット様は涙はこぼされても泣き喚いたりはなさらなかった。
どんなに叱られようが宥めすかされようが、ご自分の意志は枉げられない方だった。
ただ綺麗な青い目が溶けてしまうかと思うばかり、ぽろぽろと涙をこぼされる。
ああ……ご勘弁下さい、陛下。
陛下に泣かれては、この年寄りどもはつろうございます。
提督以外とは誰とも結婚しない、退位して尼僧になる。
そんなことを泣きながら、途切れ途切れにおっしゃる。
そんなことをおっしゃいますな、どうか。
……それほどまでに、あの日本の提督を……。
ああ、なんということだろう。
大石提督……そうだ思い出した、陛下と二度も踊った男だ。
あれはメアリ様のご結婚披露の舞踏会……。
なんとそんな前から、陛下は……!
迂闊だった、そういえば陛下自らもてなされるほどのお気の遣いようだと侍従も言っていた。
しかし、しかし……提督はかなりの年ではなかったか?
東洋人の年はよくわからぬが、どう見ても四十の坂はとっくに越えている。
なに、五十二歳! 冗談じゃない!
ご酔狂にもほどがありますぞ、陛下!
陛下は御年二十七……この春には二十八になられる。
年の差は二十五か。
……世間の夫婦になくもない年齢差ではあるが、なにもそんな年寄りをお選びにならなくとも。
たしかに陛下のようなやんちゃな方には、少し年の離れたお相手のほうがよろしいかもしれぬが……。
落ち着いた堂々とした武人であったな、大石提督は。
好ましい人物ではあるが、陛下のお相手としては釣り合わぬ。
釣り合わぬと思うのだが、陛下……そんなにもあの提督に恋してらっしゃるのか。
(レディ・クレアの語れる)
マーガレット様は泣き顔までもがお美しい。
あどけない瞳に涙をためてこちらをご覧になるときのお可愛らしさ、いじらしさ。
拗ねて泣いては私どもを困らせた小さな姫君の面影をそのままに……おいたわしさと懐かしさに私も涙を抑えることが出来ませんでした。
ええ、マーガレット様はおいくつになられましても私の大切なお姫様ですとも!
マーガレット様のお望みは何としてでも叶えて差し上げたい。
マーガレット様の恋ならば、ぜひとも叶えて差し上げたい。
アドミラル・オオイシ……信じていいのでしょうか。
安心してマーガレット様をお任せできる人物なのでしょうか?
いいえ、マーガレット様が選ばれた男性……私も信じることにいたしましょう。
マーガレット様が真に愛される方と結ばれるのなら、それが一番。
たとえどこへでも、日本でも世界の果てでも、私はマーガレット様のお供をいたします……。
(儀典長マロウェイ伯の語れる)
女王としてより、一人の女性としての幸せを選ばれるというのなら……。
大石提督との結婚が何よりのお望みとあらば……。
陛下の恋の成就に我らも老骨ながら力を尽くそう。
この苦しい時代に陛下が見つけられた恋。
陛下の恋が、陛下を幸せに導くものであると信じよう。
私どもは陛下のお幸せだけを願っております。
英国の利益と陛下のお幸せのどちらをとるかと迫られれば、迷うことなく陛下のお幸せを選ぶ我々夫婦でございます。
ですから私どもにご相談なさったのでございましょう?
……もうそんなにお泣きになりますな。
爺と家内はなんでもご命のままに従いまするに。