◆密かな計画〜続き


肝心の大石はどうしていたのか?
英本土での戦闘の激化、アイスランドの空襲、という大変な時期であり、このところ彼女は大石とまったく逢うことができなかった。
それでもマーガレットはアイスランド沖海戦のあと、ブルーマウンテン一缶とともに書状を送っている。
その書状には、ナチス独逸との和睦が実現しそうなこと、そのことを前提に退位の準備を進めていることを自筆にてしたためた。
即日、仮王宮に日本武尊より返電がはいった。
……御高配ニ感謝スレドモ時期尚早ナレバ何卒御再考ヲ願ウ。
大石は感謝状のなかの別封筒の私信に、そしてその内容に仰天したのだろう。
勲章の辞退ともとれる文面に大石の慌てた顔が見えるようである。
……戦争が終結すれば、私が退位して大石さまのおそばへいくという前々からの約束です。準備だけは進めておきますわ。
大石がいまさら慌てても、マーガレットの退位への気持ちは変わらなかった。
領土の割譲という衝撃に、マーガレットは心の糸がぷつんと切れたようだった。
もはや自分が女王の座に就いていることが許せなくなっていた。
傷心のマーガレットには大石の腕の中に逃げ込むことしか考えられなかったのだ。
……領土を奪われたうえ、王位も投げ捨てた最低の女王として歴史に残るかもしれない。それでも私はそんな体面よりも恋を選びたい。英国を見捨てたと罵られても甘んじて受けるわ。
マーガレットは停戦の成った今、恋の成就に向けて着々と計画を進めていった。


まず、新女王となるメアリの同意は取り付けられた。
次は協力者を得なくてはならない。
マーガレットには心当てにする人物がいた。
少女時代の養育係だったレディ・クレアとその夫のマロウェイ伯。
マロウェイ伯は長く儀典長を勤める謹厳な老人である。
ふたりともマーガレットに幼少時から仕え彼女を愛している。
このふたりの忠義者は退位には反対するだろうが、結局は愛するマーガレットの味方になるはずである。
マロウェイ伯夫妻の説得には丸一日かかった。
彼らにも「大石以外とは結婚しない、修道院に入って尼僧になる」の脅しは有効であった。
マーガレットの幼少時からの言い出したらきかない頑固さは彼らも重々承知している。
「マーガレット様なら本当にやりかねない」
そう思える女王の向こう見ずな性質を知っているから、妥協せざるを得ない。
神聖なる王位を捨てることへの不満。
相手の男が東洋人でしかも二十五歳も年上であることへの不満。
不満だらけであったが、目に入れても痛くない最愛のマーガレットに泣いて頼まれると夫妻は承知するほかなかった。


一月下旬、砲弾の雨こそ降り注がないが、ナチス独逸の占領地区の悲惨さは目を覆うばかりである。
もっと救援物資を、壊滅的な国家経済の建て直しを!
思うように進まない救済活動と各地で絶えない反ナチス暴動。
頭を抱えるような難題が英国内に噴出していた。
(こんな時期に退位なんて……とても言い出せない)
マーガレットの決心も鈍る。
メアリもマロウェイ伯夫妻ももう少し待つようにとマーガレットに懇願する。
(でも、もう本当に耐えられそうもない。私には無理)
いったん腰が引けてしまうと、重荷というものは背負い続けるのが難しい。


毎日のように訪れるハイランド地方特有の陰鬱なにわか雨の音を聞きながら、マーガレットは寝室で手紙を書いていた。
イーサ泊地の大石への手紙。
現在の英国の窮状を見守ることへの辛さ、逢えない寂しさ、そんな愚痴ばかりを書き連ねてしまう。
……こんなことを書いても大石さまに心配をかけるだけだわね。
マーガレットのペンが止まる。
過ぎし日の大石との楽しかった思い出、ふたりで交わした秘密の会話。
……馬鹿みたい。思い出話なんて辛気臭い。
マーガレットは便箋をびりびりと破って丸めた。
……手紙なんていや。私が今すぐ大石さまのそばに行きたいのに。
青い瞳がたちまち涙で曇る。
このところ、彼女の気分はすぐに落ち込み憂鬱になる。
……逃げ出したい。英国からも独逸軍からも。王位なんてどうでもいい。私はブリテン島の半分を失った最低の女王。でもかまわない、大石さまさえいてくだされば!
英国と独逸の間には停戦協定が成立したが、日本と独逸は依然交戦中である。
……大石さまのもとに行きたい。ああ、戦争さえなければ。
マーガレットはまた涙にくれる。


その日の夕刻、女王は旭日艦隊の大石提督が日本に一時帰国したという報告を英国参謀本部より受けた。
英国がたとえ一時的なものであれ、平和になったのであれば援英を目的とした旭日艦隊は今後どうするのか。
「……そのあたりを本国と協議しに戻ったのでしょう。通商破壊という目的を果たしようがなくなった今、英国近海に残っていても……」
女王は参謀総長の話を後は聞いていなかった。
(大石さまが日本に帰ってしまった……!)
女王の優しげな顔は硬くこわばった。
(もう英国を守る必要がなくなった?! もしかしてこのまま、戻っていらっしゃらないなんて……)
参謀総長の話に機械的に相槌を打ち、労をねぎらい、その退出の挨拶を笑顔で受けながらも、女王の心は千千に乱れていた。
(いいえ、もしそうなら何か連絡を下さるはず……でももし、これっきりになってしまえば……)
女王の目に決意を込めた光が宿った。
「外務大臣をここへ」
女王は毅然とした声で侍従に命じた。
「来月の亡命者名簿を持ってくるように」
(……万一に備えて練っておいた計画を実行するときが来たのよ)
マーガレットは自分の体内に戦闘的な気力が満ちてくるのを感じていた。