◆アイスランド料理〜続き
北欧人特有のプラチナブロンドと薄い目の色。
素晴らしい北欧美人がこちらにやってくる。
ブロンド美人は既に顔見知りらしい木島と早水ににこっと笑いかけた。
ふたりは大喜びで彼女に席を勧めた。
しかし彼女の興味は同席している原にあったようだ。
「あー、同じ艦のミスター原だ」
彼女にせがまれて仕方なしに早水は彼女に原を紹介した。
彼女はにっこりと原に微笑みかけると、あとはふたりに目もくれなかった。
「くっそぉ」
「仕方ないな、二枚目には勝てん」
木島と早水は悔しがってぼやくがどうしようもない。
ちびちびと飲む原にブロンド美人はべったり付きっ切りである。
「俺たちゃ何ヶ月もせっせと通ったのになぁ」
「憧れのマドンナはトンビに油揚げ、かぁ」
「参謀長相手じゃ喧嘩も売れんしなぁ」
「指をくわえて見ていても仕方ないぜ。他の女の子をあたろう」
木島と早水はぶつくさ言いながら、座席の隅でいい雰囲気の原と美人を横目で睨む。
「ところで、磯貝さんはどうした?」
「カウンターにいるよ。どうやらオーナーに気に入られたらしいね」
磯貝はカウンターの前に腰掛けて厨房を覗き込んでいる。
コックが鍋のフタをあけて、磯貝に身振り手振りで説明していた。
「ふうん? 料理談義かぁ? まぁあの人もよくよく女の子に縁のない人だな。ここまで来て世間話でもなかろうになぁ」
「まあ楽しそうにしゃべってるんだし、ほっといてやるか。それよか女の子を探さんとあぶれちまう」
「うん、そうだな。おーい、こっちに酒!」
『ねえ、原。外に出ない? 私踊りたいわ』
上目遣いに原を見上げて、ブロンド美人が囁く。
テーブルに置かれた原の形のいい指に、彼女はそっと自分の指を絡めた。
原は無表情のまま、彼女の顔を見返す。
『ね、いいでしょ?』
彼女の声が低く甘くなった。
「……」
原は無言のまま、気のない様子で彼の手に触れてくる彼女の真っ白な指に目をやる。
その物憂げな原の横顔に彼女は胸をときめかした。
……日本人にこんな美しい男がいるなんて。
原の優美な長いまつげと切れ長の瞳に彼女はうっとりと見惚れた。
(どうするかな……)
原は顔を上げると木島たちの様子をうかがった。
木島と早水はそれぞれ店の女の子を口説くのに躍起になっている。
磯貝は店の人たちとなにやら楽しげに談笑している。
(たまにはいいか……)
ブロンドを白い肩に乗せたアイスランド美人のほうに原は向き直った。
「彼女が踊りたいと言うんで、外に出る。……失敬」
原の腕に美人が微笑んで縋っていた。
そうことわると、美人を連れて原は颯爽と店の外に出て行った。
木島と早水は頭をゆっくり動かして、羨ましげにふたりを見送った。
「けっ。なーにが踊りたいだ。くそぉ」
木島は原が出て行ったドアの方に向かって悪態をついた。
すでに酔眼である。
「誰だよ、参謀長をカマだと言ったのは」
ニヤニヤ笑って早水が木島をからかう。
「いんや、両刀使いっちゅうこともある」
「ははは……つまんねえ」
……原は自らのホモ疑惑を少なくとも早水に対してだけは晴らすことが出来たのであった。
どっしりと磯貝の倍はありそうな横幅の女主人が、いつのまにか磯貝の横に座り込んでいる。
カウンターにいたときの、コックも交えた賑やかなおしゃべりのときとはまるで違う雰囲気がふたりの間に漂っている。
テーブルにはブルーベリーの果実酒がグラスに注がれてあった。
見た目は綺麗な色だが、もとはアルコール度数の高い自家製焼酎である。
強いて勧められた磯貝はグラスに半分飲んだだけで目が回ってしまった。
視界がぐらぐらして、座っているのがやっとの状態だ。
女主人のほうは手酌で飲んでいる。
飲みながら、磯貝に大きな身体をすり寄せて盛んに何か話しかけている。
磯貝は酔って気分が悪いのか、すり寄る彼女が怖いのか、顔を伏せて席に縮こまったままだ。
ときおりふらふらと頭を上げて、助けを求めるように周囲を見渡しているが、頼みの原は既におらず、木島と早水はてんでバラバラに女の子を口説くのに夢中になっていて、磯貝のことなど忘れてしまっている。
時間が経つにつれ、女主人の攻勢は顕著になってきた。
巨大な胸を揺すって磯貝の方にぐいぐいと押し付けてくる。
磯貝は身体を斜めにして避けていたが、とうとう壁際に追い詰められてしまった。
磯貝は絶望的な視線で店内を見回し、木島と早水の姿を追い求めた。
と、いきなり磯貝の顔は女主人のグローブのような手で捻じ曲げられた。
私のほうをちゃんと見なさい、ということらしい。
このままでは磯貝が容易に誘いに乗らないとみたのだろう。
女主人の態度は思わせぶりなものから、だんだんと露骨なものになってきた。
宵のうちはフレンドリーに、料理やアイスランドの気候風土の話をしてくれた、愛想のいい婦人のなんという変わりようか。
地元の人たちとの交流は楽しいものだが
(こういう交流は困るよぉぉ!)
きついアルコールにくらくらする頭の中で磯貝は悲鳴を上げた。
(仲良くはしたかったけど、そういうつもりは毛頭なかったよぉぉ!)
暖かそうなどっしりとした彼女に母親的な親しみを感じつつあっただけに、磯貝はショックだった。
とうとう彼女は磯貝の手を握ると、自分がいかに女性として某方面の技量に長けているかということを、具体的に説明しだした。
……磯貝は耳まで真っ赤になって半泣きになった。
さて木島はなんとか店の女の子とある種の合意に達した。
相棒の早水はと見ると彼もぽっちゃりとした娘とすっかり意気投合した様子。
そろそろ場所を移すかとふたりはそれぞれのお相手と腕を組んでソファから立ち上がった。
「あっと、磯貝さんは?」
早水と木島は、店の隅でオーナーに抱きすくめられてもがいている磯貝を見つけた。
「おやあ……」
「お取り込み中申し訳ないが、俺たちは外へ出るよ」
「あっ私も出ます、待ってくださいっ」
磯貝は必死で木島の方に手を差し伸べようとした。
「しかし……ご婦人はどうするね?」
酒がいい具合に回って桜色になった木島はのほほんと聞いた。
腕の中から逃れ出ようとした磯貝をまた女主人はしっかりと抱え込む。
「オーナーが相手ならあんたは外へ行かなくていいだろう?」
……ま、年増女の情熱的なリードに任しちまうちゅうのも、奥手な磯貝さんにはいいかもな。
のんきそうにズボンのポケットに手を入れたまま、木島はそんなことを考えていた。
「冗談っ、おいてかないで!」
「明日の朝食までに戻ればいいんだから、大丈夫だよ」
まったく木島では助けにもならない。
「そんなっ。私は帰り道もわからないんですよ」
引きつった磯貝の声に早水が見かねて女主人に声を掛けた。
「えー、この磯貝は方向音痴で私たちがつれて帰らないと道に迷うんで」
『否、大丈夫。明日の朝一番に私が彼を送っていくから心配ない』
女主人は磯貝を抱きしめながら頼もしく請け負った。
「……そこまで言われちゃあな。俺たちはなんとも」
早水は肩をすくめて見せた。
「そんなっ。助けてください、ぎゃ」
女主人は磯貝を太い腕で抱え込むと、音を立てて彼の頬にキスをした。
「しかしご婦人に手荒なまねも出来ないし、まあその」
木島が困ったように頭を掻いた。
これが暴漢とか酔っ払いならいくらでも投げ飛ばして磯貝を助けてやるのだが。
人の恋路を、しかも女性がこんなに積極的なのを横から妨害するのはちょっと憚られる。
「すまん、磯貝さん」
早水は片手で磯貝を拝むまねをして、その場をあとにする。
じつは連れの女の子がじれて彼の腕をさっきから引っ張っているのだ。
ふたりは磯貝を放置して逃げるように店を出た。
「もし磯貝さんがほんとに女性が初めてだとしたら、悲惨な初体験じゃないか?」
「……俺はしらん。そんなもんは成り行きだ」
木島はそううそぶく。
「俺たち、恨まれないか?」
さすがに早水は気が咎めるらしい。
「……イヤなら自分の身ぐらい自分で守らんと、磯貝さんも」
「はぁ、上手く逃げることを祈っとくか」
翌日。
磯貝は私室の机で便箋を前にペンを握っていた。
なにやらしょんぼりとした覇気のない顔つきをしている。
嬉しいとき悲しいとき、何かにつけて仲良しの姉に手紙を書き送る習慣のある磯貝だが、今日は筆が重いようだ。
きゅっと唇を噛むと彼は意を決したようにペンを走らせた。
姉さん、僕は……
「うわあぁ、書けないっ。とてもじゃないが書けない」
磯貝はペンを投げ捨てると机の上に突っ伏した。
「姉さーーん!」
磯貝は昨夜の記憶に頭を抱えて身悶えていた……。