◆ 買出し〜続き

「あっ、リンゴだ」
木箱に並べられたリンゴに磯貝の足が止まった。
「輸入品ですね……兵食用にはちょっと仕入れは無理ですな」
ちらりと値札を一瞥して、主計長はそのまま通り過ぎていった。
「えーと、その袋にいっぱいください、あ、そっちの箱のも」
磯貝は店の主人にドンゴロスの大袋にどんどんリンゴを詰めさせている。
「どうするんだ、そんなに」
原が横からリンゴの山をのぞきこんだ。
「参謀事務室に差し入れですよ、みんな喜ぶんじゃないかな」
値段を聞いて札入れを出そうとした磯貝の手を、原が押しとどめた。
「参謀室用なら俺が出す」
「え、そんな、私が出します」
「そんなわけにはいかんだろう!」
反問を許さぬ冷たい目つきで言い渡すと、原はさっと札を出して店番の女性に手渡した。
はっとするようなブロンドのアイスランド美人だ――どういうわけかこの国には美人が多い。
釣りはいいよとそのまま行きかけた原を呼びとめると、彼女はチャーミングな笑顔でリンゴを一つポンと投げて寄こした。
「あれ、おまけですか。へへぇ、男前は得ですねぇ」
冷やかしにかかる磯貝に、原はめんどくさそうにリンゴを渡した。
「ほら、これも一緒にしとけ」
「もう袋の口を縛っちゃいましたよ」
そう言って渡されたリンゴを彼は自分の上着の袖でキュキュッと磨いた。
――パキッ!
磯貝の力強い手がリンゴを苦もなく真っ二つに割った。
「はい、どうぞ」
果汁が滴るリンゴを原の手に渡すと、磯貝は半かけリンゴを齧りだした。
しゃくしゃくと旨そうに咀嚼しながら、彼はリンゴの袋を背負って歩きだす。
「……うまいでフよ」
「なんだ、歩きながら……。行儀の悪い奴だな」
顔をしかめながらも、原もリンゴの片割れに歯を立てた。
――シャリ!
みずみずしくて甘酸っぱいリンゴの味が口いっぱいに広がった。
「ん……うまいな」
「でしょう……」
「……」
「……」
あっという間にリンゴは芯だけになった。

磯貝と原がぶらりと一回りして戻ってくると、主計科員たちがせっせと買い付けた品物をトラックに積み込んでいるところだった。
だがそこにたどり着く前にまた磯貝が脱線する。
「あ、ジャムだ! ちょっとこれ、持っててください」
リンゴの袋を原に押しやると、磯貝は眼を輝かせてジャムらしき瓶が並ぶ屋台に走り寄った。
「これ、なんのジャムですか? ……えーと、わかんないや」
店主の老婆は英語が話せず、磯貝はアイスランド語がわからない。
「ジャムですよね? まさか魚卵の佃煮、なんてことないですよね?」
磯貝は瓶に鼻を近づけてクンクンやっている。
以前に木島に騙されて、アイスランド名物の発酵食品を食べさせられたことのある彼は慎重だった。
老婆は瓶のふたを開けると、木の匙で中身を少し掬いだした。
「……」
身ぶり手ぶりで彼に手を出せと言うと、老婆は木の匙をそのまま彼の手に握らせた。
「あ、味見していいんですか……うん、おいしい! 木イチゴかな? え、何ベリーですって? コケモモでいいのかな?」
通りかかった親切な地元の人が間に立って通訳してくれた。
リンゴの袋を担いで横で見物しているのもばかばかしかったので、原は道の端に寄って玩具のような色どりの町並みにぼんやりと目をやっていた。
どれとして同じ色・形の家がない。
それぞれがてんでばらばらに赤や青のペンキで塗られている。
ドアの方向もまちまちで、勝手気ままに西や東を向いている。
お伽の国に幼児がかわいい玩具を気まぐれに配置して作ったような、不思議な町並みだ。
しばらくすると、バタバタと足音を立てて磯貝が駆け寄ってきた。
腕の中に重そうな巨大な瓶を二本も抱え込んでいる。
「お待たせしました」
「なんだ、そんな大きいのを二本も買ったのか」
「とてもおいしいんですよ。あ、荷物すみませんでした」
腕の中の大瓶をそっと路上に下ろすと、磯貝は原の肩からリンゴの入った麻袋を受け取った。
「よいしょっと」
「おい、婆さんがおまえに手を振ってるぞ」
磯貝が原の言葉に振り返ってみると、店主の老婆が愛想よく彼に手を振っていた。
磯貝も明るい笑顔で手を振り返した。
「……ふふん」
無邪気な笑顔の磯貝を見て、原が鼻を鳴らした。
「さ、せっかくの買い物を落として割るんじゃないぞ」
「あ、はい、ととっ」
「危なっかしいな。片方持とうか」
「あ、いえ……すみません、助かります」
原はジャムの大瓶を抱えた磯貝の腕から片方を取り上げて持ってやった。
「ふん、後先きを考えて買い物をしろよな」
「は、申し訳ありません」
磯貝がちょこんと頭を下げた。

リンゴの袋を背負い大きなジャムの瓶を一本ずつ大事そうに抱えて現れた磯貝と原に、主計長の目がまた面白そうにぐるぐると回った。
「やや、これは大きな買い物をなさいましたね。リンゴにジャムですか?」
「磯貝の買い物だ」
主計長のからかい口調に原がぶっきらぼうに答えた。
「トラックのほうに積みましょうか?」
「いやいい。自分の荷物は手元に置く」
「そりゃま、ご随意に」
原の仏頂面に臆することなくにんまり笑うと、主計長はふたりのために座席のドアを開けてやった。
ジャム瓶を抱えた参謀長では怖くもなんともない。
行きの後部座席での押し合いへし合いを目撃されてしまってることもあり、原の威厳はもう形無しだった。

リンゴの大袋を足元に置いて、ふたりは窮屈そうに足を縮めていた。
それぞれの腕にはジャムの大瓶が大事そうに抱えられている。
「……ジャムをこんなに買い込むお前の気がしれん」
さっきから原がぶつくさ文句を言っている。
「だいたい佃煮の瓶なんかも、冷蔵庫に入れておくと知らないうちに半分になるんだぞ。誰の箸が突っ込まれたかわからん瓶詰なんか、食う気が失せるだろ、ふつう」
「アハハ、艦に持ち込んだら瓶の中身は蒸発すると思わなきゃ。さて、このジャムはどのくらいもちますかね?」
「司令部の連中の行儀はましな方だと思うが、甘いものとなると保証はできんな」
「蒸発する前にたらふくジャムサンドにして食べたいものです」
「ふん、また一度に一斤食うんだろ」
「むろんですよ。そうだ、今夜の食後のお茶はこれでロシアンティーにしませんか?」
「これを紅茶に入れる気か?」
「熱々の濃い紅茶に甘酸っぱいコケモモジャム、きっといけますよ!」
「へぇ、コケモモのジャムなのか、これ」
「珍しいでしょ」
しげしげとジャムの瓶を見直す原とニコニコと嬉しげな磯貝は、帰りの車内で仲良く揺られ続けていた。
――ごとん!
ひときわ大きい振動でリンゴ袋が傾ぎ、緩んだ袋口からリンゴがひとつふたつと転がりだした。
原が車窓に目を遣ると、そろそろイーサ湾のフィヨルドに差しかかるところだ。
「おい、またあのひどいカーブがはじまるぞ!」
「わっ! ジャムの瓶、死守してくださいっ」
「わかってる! おまえこそ、リンゴを踏みつぶすなよっ」
「はいっ! わわっ」
瓶をしっかり抱きしめ両足を浮かせた姿勢のまま、ふたりは右に左に激しく揺さぶられるのであった。



※参考図書
「地震と火山の島国」 島村英紀著/岩波書店
「アイスランド・トラベル・ガイド」 アイスランド観光文化研究所編集/フィンコーポレーション