◆帰国


「大高総理……!」
大石はさっと畳に手を突きかしこまった。
「どうなさいました、大石さん」
上座の大高が驚いて聞き返した。
「総理、お恥ずかしい話なのですが……じつは英国支援作戦のおり、結婚の約束をした英国人女性がおりまして……」
普段の大石とは別人のように歯切れの悪い物言いだった。
「ほぉ、何事かと思えばそういう話ですか」
大高はほっとした様子で茶托の上の茶碗に手を伸ばした。
「英国人女性……国際結婚ですか。幸い大石さんは独身、よろしいではありませんか」
大高はにっこり笑って茶を口にした。
「それが……相手の女性というのが……マーガレット女王でありまして……!」
「!!」
大高は飲みかけた茶に激しくむせた。
「あっ総理! 大丈夫でありますか!?」
大石が驚いて大高の介抱に飛んで来た。
「いや、だい……じょうぶ、です」
大高は苦しげに咳き込みながら背中をさする大石を制した。
「それより、今なんと、おっしゃいましたかな……」
「マーガレット女王です」
「……うぅ」
「総理! しっかり!」
大高はまた激しく咳き込んだ。


時に照和25年1月。
英国政府はウェールズ要塞の無血開城をもってドイツとの停戦の道を選んだ。
旭日艦隊もこのブレスト条約を受けて現在は避難民の輸送に専念している。
ブレスト条約後の世界の行く末はまだ不透明であった。
大石は日本に一時帰国していた。
大高や高野と今後の作戦の打ち合わせのためである。
大石は帰国したその足で大高の首相公邸を訪れていた。
ひとしきり英国の状況や日本の情勢を語り合った後、大石はいきなり自身の結婚話を大高に告げたのであった。


ブレスト条約が束の間の平和しかもたらさないことは明らかであった。
早晩、ナチスとの決戦が英国本土で行われよう。
そんな緊迫した状況下にこんな私事を持ち込むのは大石も大いに気がひけたのであるが、マーガレットとの仲もじつは差し迫っていたのである。
戦争が終われば結婚するというのがふたりの間の約束であった。
ブレスト条約は戦争の終わりでもなんでもなく単なる中休みにしか過ぎない。
なのに女王は停戦と共に自身の退位の計画を着々と進めている様子なのだ。
大石がイーサ、女王がインバネスと離れている上に、休戦の是非について英国内の世論も混乱を極めており連絡を取り合うような状況ではない。
結局ブレスト条約後は逢うこともなく大石は日本に帰国したのだが、そろそろ結婚についてこちらも具体的な手をうっておかないと女王を宥めておけそうもない、というのが大石の判断である。
マーガレットはなんといっても思い切りのいい女性でしかも行動力がある。
ほっておくと独断でどんどんことを進めてしまう危険がある。
彼女の退位は政治的に多大な影響を持つ。
なんとか日本の国益を損なわずにことを進めたい大石であった。


こんなに居心地の悪い相談はいまだかつて経験したことがない。
大石は苦渋に満ちた表情で冷や汗をぬぐった。
戦争の最中に色恋沙汰を相談する非常識。
しかも相手がとんでもない相手である。
さすがの大高も興味深げな視線をちらちらと大石の顔に送る。
五十男が年若い金髪美人と結婚すると言うだけで好奇の対象であろう。
それがよりにもよって女王とは。
大石が世界中の好奇心を集めてしまうことは間違いない。
いくら身から出た錆とはいえ、今後も同様の試練を潜り抜けなければならないかと思うと、大石は頭を抱えたくなった。
……いい年して恋なんてするもんじゃない。


大石はぐったりと疲れきって自宅に戻った。
久しぶりのヒノキの浴槽、畳の座敷、布団。
暖房完備の日本武尊での生活に慣れた身には、日本家屋の隙間風と底冷えがなかなか厳しい。
冬の強い風が雨戸をカタカタと鳴らしていた。
(……日本に帰ってきたんだなあ)
しみじみとそう思う。
大石は布団に横になってぼんやりと天井を眺めた。
天井の木目と欄間の格子が枕もとの明かりにぼおっと浮かんでいる。
(結婚するのか、マーガレットと)
うまく話がまとまるかどうか、結婚がいつのことになるのか、すべては話を進めてみないとわからない。
しかし、ついにこの秘密の恋を総理に打ち明けた……もう、後戻りは出来ない。
(心配なのはマーガレット、彼女が無茶を仕出かさないかということだ)
彼の下工作をおとなしく待つようにと、もっと念押しをして帰国すればよかったと大石は少し後悔していた。
(急な帰国で何かと忙しく連絡が取りにくかった。短期間の帰国だからとそのままにしてきたが、どうも不安だ……)
停戦後に受け取った手紙の内容がどうも気に掛かる。
退位の準備を進めているという一文。
自分にも心積もりがあるから独断専行は慎んでくれ、と釘を刺す返事は出してはおいたが不安は消えない。
(イーサに戻ったら何とか連絡を取ろう。一度顔を見て話さないとどうも心配でならん)
泣き出しそうな表情のマーガレットが目に浮かぶ。
我儘で頑固な泣き虫のマーガレット。
手を焼きながらも、大石はそんな彼女が愛しくてならない。
(彼女をこの屋敷に花嫁として連れてくる日が来るのだろうか)
……まったく夢のような話だ。
明日は朝から総理、総長、外相の三人と女王との結婚問題について協議することになっている。
(彼女のためにも、できるだけ話を詰めておかなくてはな)
大石は灯りを消し、目をつぶった。
外の風は依然やまない。
明日は雪になるのかもしれない……。