◆故郷の手紙


日本を離れてもう三年以上になる。
そんな乗組員にとって一番嬉しいものは、故郷からの手紙である。
白鳳経由でイーサ泊地に届けられた郵便物が、今日本武尊の甲板で仕分けされている。
四千人からの乗組員に宛てた手紙と荷物が甲板に山と積まれていた。
その山の前に陣取ってせっせと水兵達が各部署ごとにそれらを選り分けていた。
夕食前には手紙は各人の手元に届けられるのだろう。

参謀室にも郵便物の箱が届けられた。
参謀と事務官たちがわっと箱を取り囲んだ。
彼らも人の子、故郷の手紙は限りなく懐かしい。
その中でも磯貝はいつもたくさんの手紙を受け取っていた。
彼の親族が揃って筆まめなおかげである。
磯貝には今日は手紙だけではなく荷物と大型の封筒も届いていた。
磯貝はほくほくして腕いっぱいの荷物を抱えて私室に向かった。

夕食を手早く済ませた磯貝はせっせと返信を家族宛にしたためていた。
明日の朝までに係に渡すと白鳳の帰りの便に間に合うのだ。
ペンを握る磯貝の耳にコツコツとドアをノックする音が届いた。
「どうぞ!」
磯貝は振り向きもせず返事した。
ドアの開く音がし、誰かが無言で入ってきた。
「?」
不審に思った磯貝が振り返ると、原がすぐ後ろに立って彼の手紙を覗き込んでいた。
「びっくりするじゃありませんか! 参謀長」
原を見るなり、磯貝は嬉しそうに目を瞠った。
「もう返事を書いているのか。おまえは手紙だけはまめだな」
ふふん、と原は笑いかえした。
「手紙っていうのは、こちらからまめに出さないと貰えない物ですからね」
磯貝がなかなか穿ったことを言った。
「なに偉そうに言ってんだ、姉さんと甥っ子だろ。文通の相手は」
原がごつんと磯貝の頭を小突いた。
「……いて」
原はきょろきょろと机周りを物色している。
「ええと、どこだ?」
「なにがですか?」
「今日、分厚い封筒がおまえに届いていただろう。切抜きじゃないのか?」
原はどうやらまた推理小説を狙って部屋まで来たらしい。
「あ、あれは……」
磯貝は言いよどんだ。
「ああ、これだな」
原はベッドサイドに立てかけてあった封筒に気がついて、手を伸ばした。
「わっ!」
磯貝が慌てて椅子から立ち上がった。
「おっと」
原は素早く封筒を掴むとベッドに飛び乗った。
「それは違うんですよー、参謀長」
「なんだ、またおかしな小説か? 見られたら困るような類か?」
「そ、そんなものを姉さんが送ってくるわけないでしょうが!」
「そうか? この前の乱歩の小説は相当……」
言いながら原は素早く封筒の中身を出した。
大判の写真が束になって出てきた。
いずれも振袖姿の着飾った女性が微笑み、あるいは緊張して写っている。
「……見合い写真か」
磯貝は赤くなってふくれっ面になっていた。
「ははーん、なるほど。そういうことか」
原は磯貝のベッドに座り込むと、面白そうに写真を眺めだした。
「……ひどいなあ」
磯貝は赤くなったままむくれている。
「まあそう言うな。見るぐらいいいだろ」
ぱらり、ぱらり。
原は一枚一枚丁寧に写真を見ていく。
全部見終わった原は写真を置くと磯貝を見た。

「こう言っちゃあなんだが、みな器量はいまひとつだな」
「そんな、私だってとやかく言えた顔じゃないですから」
「ん……まあな。てことは、おまえは器量好みじゃないってことか」
「そりゃ綺麗な人にこしたことはないですよ。でも人柄のほうが大切です」
「ふん、そりゃそうだ。……で、気に入った人はいるのか?」
「いいえ。みんな若すぎますよ。女学校出たての娘さんばかりだ」
「ひとまわりぐらい違っても普通だろ?」
「出来れば私はもう少し落ち着いた年齢の人のほうが……」
「へええ。ずいぶんと渋い好みだな。いくつぐらいがいいんだ。具体的には?」
「30以上ですかねぇ。できれば私と同年代で、学校の先生とか仕事を持ってる人がいいかなと」
「職業婦人か。ずいぶん変わってるな」
「そうですか? 私がこうやってほとんど海の上なんですから、自分の生活を持っている人のほうがいい。じっと一人で待たしておくなんて気の毒ですよ」
「ふむ、一理あるな。しかしそれなら、なんでまた若い人の写真ばかり送ってくるんだ?」
「それなんですよ。私がそう言っても孫の顔が見たいから、とか何とか言って若い娘さんばかり勧めるんだな、うちの両親は。はっきり言って閉口してます」
「若くても仕事を持ってる人にすればいいじゃないか」
「ん……と、それは、若い娘さんは苦手でして。私も何度か見合いをさせられたことがあるんですが、どうもしっくりとこない」
「おまえが振られたんじゃないのか?」
「あーう、そういうこともあります」
「あははは。おまえいったい何回見合いしたんだ?」
「うー、7,8回ですかね」
「ははは、そりゃたいしたものだ」
「そういう参謀長も独身じゃありませんかっ」
「そう怒るな。俺は独身主義者だ。軍人に妻子なんぞ不要だ」
「へー、そうですかね」
「なんだ、その口の利き方は」
「……いて!」

なんのかんの言いながら、原は磯貝の部屋に腰を落ち着けてしまっていた。
磯貝は厳重に包装された一升瓶を持ち出してきた。
どうやら今日の手紙と一緒に届いた荷物らしい。
「母の漬けた梅酒です。私は酒は苦手だけど、母の梅酒だけは好きなんですよ。まあどうぞ」
ごそごそと包装を解くと、磯貝は瓶の栓を抜いた。
梅酒の甘い爽やかな香りが部屋に漂った。
「しかしせっかく送ってきたんじゃないか。おまえ一人で大事に飲めよ」
いい香りを吸い込みながらも、原は一応遠慮する。
「好きと言っても毎日飲むわけじゃないし。参謀長にも飲んでいただきたいのでありますっ」
どんッ、と原の前に一升瓶を置くと、磯貝は意気込んでなおも勧めた。
「うん、おまえがそこまで言うのなら、ひとつ頂こうか」
「ははっ、嬉しいであります。茶碗でよろしいですか」
「なんでもいいよ」
磯貝は甲斐甲斐しく茶碗を原に渡した。

「む。……甘いな、こりゃ」
茶碗に注がれた梅酒を一口飲んだ原は目をぱちぱちさせた。
「お口に合いませんか?」
磯貝は眉を寄せて原の表情を見守っている。
「……いや、甘いが後口がいいな」
原がそう答えると磯貝はほっとしたように自分の茶碗にも梅酒を注いだ。
原はもう一口梅酒を口に含んだ。
かなり甘い。
酒というよりシロップだ。
磯貝家の人々はどうも相当の甘党のようである。
甘くて口当たりがいいので、酒、という感じがしない。
ある意味、下戸の原と磯貝にはうってつけの酒かもしれない。

姉さん。
僕は今、母さんの梅酒で酔っ払ってます。
今日は母さんに手紙を書く時間がなかったので、姉さんから正久がおいしかったと言っていたとお伝え下さい。
僕の字、読みづらいかもしれないな。
お酒が回ってちょっと眠い。
恥ずかしいから、この手紙は読み返さずに投函します。
姉さん、僕は酔ってますからね。
そこのところ、割り引いてくださいね。
僕が梅酒を飲みすぎたのは、一人で飲んだんじゃないからなんだ。
誰と飲んだと思う?
参謀長とふたりで飲んだんだよ。
いま参謀長は僕のベッドでぐうぐう寝ているよ。
お酒が弱いのは僕と一緒だけど、参謀長は疲れがたまってたのかな。
ちょっと横にならしてくれ、とおっしゃったきり、もうぐうぐうだよ。
おかしいだろ?
でも、人のベッドを使うのなら靴ぐらい脱いでほしかったな。
参謀長はね、僕のことを「しすこん」だから嫁のキテがないって笑うんだよ。
それで、いっそのことおまえも俺みたいに独身主義者になれって言うんだ。
しすこんってなんだろう?
そうだ、母さんたちにお見合い写真を送るのはやめてくれと言っておいて下さい。
さんざんからかわれて困ったよ。
それに若い娘さんはいやだよ。
僕は姉さんみたいなしっかりした優しい人がいい。
ところで僕は今晩どこで寝たらいいんだろう。
揺さぶっても
「うるさい、あっちへいけ」
なんておっしゃってちっとも起きてくれないんだ、参謀長は。
従兵を呼んで自分のお部屋に連れ帰ってもらってもいいけれど、それじゃ参謀長に恥をかかせるだろ?
僕が参謀長の部屋で寝るべきか、いやそれもあとで怒られたら困るし。
床で寝たら風邪をひきそうだ。
困った。
とにかく僕はもう眠くて字が書けない。
おやすみ姉さん。
義兄さんにもよろしく。    正久