◆磯貝の休日


今日の午後は磯貝の休日。
イーサの町に上陸しようが、部屋でごろ寝しようが、磯貝の自由。
今日はうららかな日の差すいい天気だ。
……せっかくだから外出しよう。
そう決めて磯貝は甲板に出た。

「やー、磯貝さんも上陸ですかい?」
甲板に上がるとすぐ、私服の木島砲術長が親しげに話しかけてきた。
木島はジャンパーに鳥打帽といういでたちで株屋のおやじのようだ。
「磯貝さん、たまには遊びましょうや。いいところを知ってますぜ。金髪美人がいっぱい、ブフフ」
木島は鼻の下を伸ばして不気味な笑い方をした。
「あー。また今度」
「なんです、付き合いの悪い……いい子紹介しますから、ねっ」
ポン引きのようなことを言って、木島がニヤニヤと誘う。
「あー、やめときます」
「なんですか、あんた、もしかして女が怖いんですか? 怪しいなぁー」
「な、何が怪しいんですか、失敬な」
「ひょっとして磯貝さん、あんた……」
木島ががしっと磯貝の肩を押さえる。
「ド……」
「わーわー艦長ー! 助けてくださーい!」
磯貝はちらりと姿の見えた富森艦長に大声で助けを求めた。
富森は磯貝と木島に気がつくと、足を止めて首をかしげた。
「艦長ー!」
磯貝はなおも声を張り上げる。
「……なんですかな、磯貝参謀。大声を上げてみっともない」
富森は温顔のまま、おっとりと磯貝をたしなめた。
「砲術長がですね、金パ……」
「わー!」
今度は木島が大声を上げた。
「なんですかな、あなたたちは」
富森が呆れたようにふたりの顔を交互に見た。
「砲術長、嫌がる人を無理に悪所に誘うのは感心しませんな」
「……はぁ」
富森はしっかりふたりの会話を聞いていたようだ。
木島は首をすくめてばつが悪そうにする。
「さ、上陸を楽しんでいらっしゃい。くれぐれも品位を忘れぬよう」
「はは」
木島は一礼するとあたふたと逃げ出していった。
「あー、助かった。ありがとうございます、艦長」
磯貝は胸を撫で下ろした。
飲む打つ買う、に無縁の磯貝は木島に同行しても上陸を楽しめそうもない。
「磯貝参謀、今日のご予定は?」
にこにこと富森が気楽そうな私服をひっかけた磯貝を見て尋ねた。
「そうですねぇ、せっかくのいい天気ですから散歩でもしようかと思ってます」
「ほう、それはいい。じつは私も午後は空いておるのですよ。よろしかったらご同行させていただけませんかな?」
富森は温顔の目を糸のように細くして磯貝に笑いかける。
「それは嬉しいです! どこに行きましょう?」
「そうですなぁ、火山谷方面はいかがですか? いろいろと珍しい地形が見られるそうですな。そして帰りに旭日湯に寄ってさっぱりいたしましょうか」
旭日湯というのは火山島であるアイスランドに数多く湧き出る温泉のひとつである。
大石は泊地の最寄の温泉に脱衣所等の施設を作らせ、乗組員の保養地にしていたのである。
「あっそれじゃ、手ぬぐいも用意していこう!」
磯貝は楽しげに私室に引き返しかけた。
「ああ、私も着替えますので、一緒に行きましょう」
ふたりは仲良く上甲板の私室に戻っていった。

磯貝は軽いジャケット、腰に手ぬぐい。
富森は白いセーターに登山靴。
ナップザックには水筒とふたり分の握り飯。
「あ、艦長。用意がいいですね。私がお持ちします」
「いやいや。そう重いものではなし……そうですな、水筒だけ持っていただきましょうか。握り飯がつぶれますでな」
磯貝は水筒を富森から受け取ると、肩から斜めにぶらさげる。
ふたりはすっかりピクニック気分だ。
にこにこしたふたりが甲板を横切っていく。
途中出会った下士官や兵たちも敬礼しながら珍しそうにふたりを見送っていた。
今日の午後は磯貝の休日。
気の合う艦長とお弁当もちのピクニック。
当直将校の見送りに笑顔で答えると、ふたりは日本武尊の舷梯を降りていった。