◆元旦の光景〜続き


富森は副長を連れて、艦内の各部署を回っていた。
巡視ではなく激励だ。
乗組員の半分は、元旦といえども当直に就いている。
今朝、乗組員一同に新年の挨拶と訓示を済ませているが、こうして艦長が直に激励して回るのも新年らしい光景であった。
艦は通路も金具もどこもかしこも、念入りに拭き清められ磨きこまれていた。
あちこちに飾られた乗組員の心づくしの正月飾りが正月気分を醸し出している。
ゆっくりと時間をかけて艦内を回り終えると、二人は最後に艦橋に立ち寄った。
当直将校がさっと駆け寄り直立不動の姿勢をとった。
「ご苦労」
富森がうなづく。
碇泊中の艦橋は最小限の当直員だけで閑散としていた。
「航海長はどうしてる?」
「は、寝溜めをするんだとおっしゃって部屋へ帰られました」
副長の問いに若い当直将校が緊張して答えた。
「そうだな、碇泊中ぐらいゆっくりと寝てもらわんとな」
富森は副長と顔を見合わせて微笑んだ。
早水は航海中は艦橋のすぐ上の休憩室で仮眠を取るだけで、ほとんど艦橋に詰めっぱなしの艦橋の主のような男だ。
「夜の宴会に備えて英気を養ってるんでしょう」
「うむ、そうかもな」
富森は宴会のことを思うとかすかに顔をしかめた。
酒になると、みながみな、艦長に献杯に来る。
いちいち受けていると、軽く一升は飲まされる羽目になる。
大酒飲みでもなんでもない富森には、まったく迷惑な慣習であった。


夕食後の「酒保開け」の合図とともに、あちこちで正月の無礼講の宴会が始まった。
「まずは一献」
科長が、分隊長が、次々に富森の前にやってきて、杯に酒を満たしていく。
「む……」
富森は無表情なまま、機械的に注がれた酒を飲み干し、返す杯に酒を注いでやる。
昔から「けっして乱れぬ」との評判をとる富森の飲みっぷりである。
そうこうするうちに、それぞれの科の分隊長を部下たちが呼びに来る。
呼ばれれば彼らも、部下である下士官兵の宴会に顔をださなければならない。
富森もそれできりのない献杯からやっと解放される。
壁にもたれると、富森は目をつぶって束の間の休息を取った。
これはまだ宴会の第一幕にすぎない。
もう少しすると、大石が司令部の宴会に来るよう日本武尊幹部たちを呼びつけるのが常なのだ。


普段は司令部の昼食や接待に使用されている司令部公室が、こういうときも宴会場になる。
いつもの大きなテーブルが仕舞い込まれ、みんな絨毯にあぐらをかいて座ることになる。
既に酒が回って出来上がっている者同士、司令部公室はあっという間にどんちゃん騒ぎになった。
騒がしい中を、それぞれがお銚子を持ってあっちこっちにウロウロとして酒を注いで回る。
大石は注がれるまま飲んでいるが、富森はきりのいいところで杯を伏せて、また壁にもたれて寝てしまう。
「けっして乱れぬ」富森であったが、「不沈艦」の称号はもうだいぶ前から返上していて、長引く宴会では適当なところで寝たふりをすることにしている。
原はそんな中をほうほうの体で逃げ出して、同じく下戸である磯貝の横に来た。
「おまえ、膏薬くさくないか?」
磯貝の隣に腰をすえた原が、鼻にしわを寄せた。
「あ、臭いますか?」
「どうしたんだ?」
「道場で……」
「なんでそんなとこに行った?」
「木島さんに捕まって……」
原は向こうで酒を飲んで大騒ぎをしている木島たちを一瞥した。
 わははは、いいぞ砲術長!
 歌え、歌えー!
そんな酔っ払いたちのだみ声と笑い声がやかましい。
「バカかおまえは。学習能力のないやつだな」
「そんなこと言ったって、捕まってしまったものは仕方ないですよ」
 わははは、いいぞー。
 待ってましたっ十八番!
そんな歓声と拍手を浴びて、木島が立ち上がった。
もう酔眼で真っ赤に酔っ払っている。
「ああ、またあれをやる気か」
原はうんざりしたように眉をひそめた。
  わたしーのラバさーん 酋長のーむすめー♪
みんなの歌に合わせて、木島が腰をくねらして踊りだした。
ばか笑いと拍手が一斉に沸いた。
そんな中で大石はニヤニヤ笑って湯飲みの酒を飲んでいる。
酔いつぶれたふりをしていた富森も薄目を開けて、木島の踊りを眺めている。
早水が立ったまま一升瓶をラッパ飲みしている。
座は既に乱れきっていた。
  色は黒いーが 南洋じゃー美人♪
木島は怪しげな腰の振り方をしながら、一枚一枚服を脱ぎだした。
 もっと振れ振れー!
 いいぞー!
歓声がどっとあがった。
大石までが大喜びで手をたたいている。
「アハハハ……」
隣でのんきに笑っている磯貝を突付いて原がささやいた。
「磯貝、ぼちぼち逃げといたほうがいいんじゃないか? 去年おまえ、チークダンスを強要されて泣いてただろ」
「あ、軍医長の芸者ワルツ……」
「ほら、こっちへくるぞ」
「わ!」
磯貝が腰を浮かしたそのとき……。
『現在時刻二三○○、消灯の刻限である』
スピーカーから副長の重々しい声が流れた。
『本日はみな愉快にすごせたことと思う、おおいによろしい! 無礼講これにてやめよ!』


宴会は唐突にお開きになった。
幹部たちがざわざわと笑いさざめきながら公室を出て行く。
「ふう、なんとか助かったな」
原が磯貝に笑いかけた。
「そうでもないですよ……」
磯貝が目顔で向こうを指した。
酔っ払った大石と半裸になった木島が肩を組みあってこちらにやってくる。
どちらも足取りは少し怪しい。
その後ろに一升瓶を抱えた早水と酒癖の悪い軍医長が付き従う。
「おい、原君……」
ゆらり、と一歩大石が前に出た。
「悪いけど失礼しますよ」
磯貝が小声でささやくと、原から離れた。
「あ、おいっ!」
「学習させていただきます……」
そそくさと磯貝は戸口へ逃れた。
「ぜんぜん飲んでないだろう、原君。隣で飲みなおそう」
大石はニヤニヤと長官室のほうへあごをしゃくった。
……酔っ払いは嫌いだ……とくにこのメンバーは……!
原は絶望的な表情になった。
四人の酔っ払いが彼を取り囲んだ。
万事休す……!
……ああ、あなただけだったら、まだしもなんですけどね……。
原は酒に潤んだ大石の目を縋るように見つめた。
「さあ、参謀長」
「長官のご指名ですぞ、ウヒャヒャ……」
原は左右から早水と軍医長に腕を取られた。
……覚えとけよ! 磯貝!
原は長官室へと連行されながら、首を捻じ曲げて磯貝の後姿を力なくにらみつけるのだった……。