◆艦隊厠(かわや)考 1

……下品なお題で失礼いたします。
美形は昔からトイレには行かないものと決まっております。
ゆえにこの話も旭日の美形連には関係のない、どーでもいいことでございます。

海軍ではトイレのことを「厠」と申します。
専用個室を所有できるのは長官、参謀長、艦長だけでした。
あとは参謀用、士官用、ガンルーム士官(中少尉)用、特務士官用、准士官用、下士官兵用、と厳密に分けられておりました。
トイレにも階級あり、なのです。
いずれも海水使用の水洗式、でありました。
士官以上はトイレットペーパー、下士官兵は安物の落とし紙だったようです。
「大和」が建造されるまで、長らく連合艦隊旗艦として帝国海軍を代表していた戦艦「長門」の厠の数はといいますと……
専用トイレ三つを除外して、士官用便器の数は11個、使用人数は70名。
一個の便器につき、7人弱。
一方、下士官兵用は24個、使用人数は1330人。
一個の便器につき、56人弱。
これではいつ行っても満員……だったのではないでしょうか?
しかも「長門」の厠は扉も仕切りもない、便器だけがずらっと横並びになったものだったそうです。
プライバシーも何もあったもんじゃありません。
しかし同じ戦艦でも「霧島」の厠は顔と足元は丸見えでしたが、隣との仕切りも腰の部分だけのドアもあったといいます。
どうして旗艦たる「長門」の厠は丸見えトイレだったんでしょうね?
トイレの仕切り戸をケチっても仕様がないんじゃないかと思いますが。
……「長門」乗組員の手記によりますと、人間慣れてしまうと座ったとたんに用を足すことができた、とあります。
座った、ごそごそ、はいお先、という具合にスムーズに流れ、混雑もそうひどくはなかったそうな。

艦内では、本来の職務とは別に「役員」の割り当てというものがあり、通信科以外の下士官兵から人数を出していました。
気が利いてかわいい顔立ちの兵は従兵に、計算に明るい兵は酒保(艦内売店)に、そしてとくにとりえがなければ厠番に出されました。
厠番とはなにをするかと申しますと、厠の入り口で「糞掻き棒」という細い金属棒を持って立ち番するのです。
そして大便器に故障があれば、棒で詰まりを取り除いたり、機関科の給水係を呼びに行ったりしました。
棒で突いたり、水圧を高くしたりで開通すればいいのですが、それで埒があかないこともありました。
なにせ、貴重な便器、一個につき五十人以上の生活がかかっているので一刻の猶予もありません。
最終手段は排水パイプを取り外して詰まりを直接取り除くことでした。
こうなると厠番の手には負えず、甲板士官の出番となります。
戦艦の排水パイプはバルジ部分(船殻の外側の空洞)にありました。
そこに潜り込んで、頭上の固い錆びついたネジを外すのです。
当然逃げようもなく、頭上から汚水をまともに浴びることになるのですが……。
甲板士官はこういう誰もが嫌がる汚れ仕事を兵任せにせず、自分が率先してやったといいます。
また、そういう熱意と誠意のある人物でないと、兵の心服は得られなかったそうです。
……つくづく大変だったと思います、甲板士官って。

さて、ババチイ話ついでに、最後は潜水艦の厠の話を。
初期の潜水艦にはなんと厠はありませんでした。
どうしていたかというと、艦長以下全員が浮上時の甲板で処理していました。
この風習は潜水艦が近代化されてからも残り、ベテラン艦長の中には従来どおり潜航前の上甲板で済ます人もいたという……。
厠も最初は高圧空気で排出するようになっていたのですが、うっかり操作を間違うと逆噴射になります。
潜水艦には風呂はありません。
潜航中にこの事故を起こすと……狭い換気の出来ない艦内のこと、当人のみならず周囲も大変な目に遭ったと考えられます。
この事故は多発したらしく、高圧空気式は次の型の艦には採用されませんでした。

替わって採用されたのが、電動式排出ポンプ。
しかしこれも、高温多湿な劣悪な環境の潜水艦では故障が多く、乗組員は苦労したそうです。
しかも故障しなくとも深々度潜航になると水圧が高くなるので、厠は使用不能になりました……。
深々度潜航に入る前に必ず予告アナウンスがあったのは「用便を済ませておけ」という意味もあったのでした。
で、故障もしくは深々度潜航のときは厠はどうしていたのか? というと、はなはだ原始的ではありますが、各区画に空き缶を設置したそうです。
大型の潜水艦になると乗組員は百名を越えます。
換気の出来ない潜水艦内での長期深々度潜航とは、いろんな面で苛酷であったようであります……。