◆磯貝はどこだ?
参謀長室は原の執務室である。
参謀室のデスクで資料を読んだり、作戦室で図上演習をするとき以外は、彼はこの部屋で仕事をしている。
長官室のように豪華ではないが、応接用のソファーも用意された立派な部屋に、原の好みのどっしりとした大型の執務机が置かれている。
ここに書類ケースをきちんと並べて、原はせっせと文書作成に精を出す。
いまも上がってきた各参謀の書類をまとめて、最終的な報告書を作成しているところであった。
書類を一読し、しばしペンを持ったまま、彼は涼しい切れ長の目を宙に浮かす。
そしてペンを握りなおすと、さらさらと一気に、彼は報告書を簡潔明確な文章にまとめ上げていくのだった……。
参謀に必要なのは、一にも二にも実務能力である。
とにかく筆まめで、書類作成を要領よくどんどんこなせる人物でないと参謀職は務まらない……はずであったのだが……。
「あ……あのばか……」
書類を読んでいた原が見る見る顔をこわばらせていった。
「まさか……」
がさがさっと原は未決済書類の束をつかみ出すと、机一面に広げて該当項目を確認しだした。
「ああっ、ここもだ、ここも!」
思わず切羽詰った声が出て、書類の間違いを原は指で押さえた。
「あの野郎……!」
歯軋りしそうな調子でつぶやくと、原は参謀長室の椅子を蹴って立ち上がった。
机の書類を掴むと、原はそのまま大またで部屋を出て行った。
「磯貝! 磯貝はいるかっ!」
怒りを隠そうともしないで、原はずかずかと参謀室に乗り込んだ。
磯貝の机は留守だった。
原はぐるりと参謀たちを見渡した。
「磯貝は今どこだ」
「は、存じません」
「誰か知っているものはいないのか?」
参謀たちはおどおどと互いの顔を見合わせた。
「もういい!」
開けたドアを閉めもせずに、原は肩を怒らしたまま部屋を出て行った。
……磯貝さん、今度は何をやらかしたんだ。
……あの剣幕じゃ手荒くどやされるだろう、気の毒になぁ。
参謀たちは磯貝の身の上を思いやって、同情のため息をつくのであった。
「失礼します!」
ノックを省略して返事も待たずに原は長官室に踏み込んだ。
「あ? なんだ」
テーブルの前に立っていた大石が原を見てのんきな声をかけた。
「ちょうどいい、なあ参謀長……」
「急ぎの御用でなければ、後にしていただきます」
手に菓子の缶らしきものを持って笑顔で呼びかけた大石の言葉の先を、原はきつい表情でぴしゃりと遮った。
……お茶菓子なんか用意して! それどころじゃありません!
「磯貝をご存知ありませんか」
「あ? 俺に用があったんじゃないのか?」
「違います、磯貝を探しているんです」
「何かあったのか?」
「今朝の書類のことで。どうもお騒がせしました」
「あ、おい原……」
暇な大石に根掘り葉掘り聞かれるのも面倒で、原は切り口上になると急ぎ足で長官室を出て行った。
……参謀室で仕事をしていない、長官室で長官の相手にもなっていない。とすれば、艦長室でさぼっているかだが……。
大石を振り切って長官室を後にした原は、右舷通路の先を進んだ。
「番兵」
原は艦長室前に立つ番兵に声をかけた。
「艦長は中においでか?」
「いいえ、ご不在です」
参謀長の問いに番兵は直立不動で答えた。
「そうか」
……となると艦橋か? いや、まず私室を見てみよう。
原はいま来た通路を引き返すと、航空参謀の私室の前で立ち止まった。
「磯貝!」
そう怒鳴って原は磯貝の私室のドアを開けた。
彼の部屋はきちんと片付けられていて、人の気配はまるでなかった。
……こうなると艦橋だな。
原は上甲板に見切りをつけて、艦橋へのラッタルを上っていった。