◆続・冬の怪談
「このままではいかん」
腕組みして木島砲術長が言った。
夜戦訓練のおりの原・磯貝抱擁事件を目の当たりにした木島は磯貝の行く末を案じていた。
「うーん。杞憂だと思うがねぇ、木島さん」
早水航海長が首をひねる。
「俺は何も磯貝さんにカマっけがあるなんて言っとらんよ。ただな、参謀長がな」
「へ? 参謀長がカマなんですか?」
「こら、滅多なことを言うな」
木島が慌てて周りを見渡した。
ドアは開け放してある。
ここは航海長休憩室。
早水がソファにだらしなく寝そべっている。
「いや俺が心配するのはだな、参謀長はあのとおりの美男で独身主義者だ。ひょっとすると磯貝さんが感化されるかもしれんとだな」
むさ苦しいヒゲ面の木島が真面目くさって言った。
「ははは、木島さん。どう感化されるのかね? 聞かしてくれ」
「俺に言わせるのかよ」
「わははは……」
早水がソファにのけぞって笑った。
「えらい疑いを参謀長にかけてるな、木島さん」
「いや、そうならんうちに磯貝さんを女に開眼させようとだな」
「わははは……」
早水がまたひっくり返って笑った。
「おい、伝声管を閉めとくぞ」
「ああ、すまん」
早水はソファから起き直った。
「実際、磯貝さんは純情すぎるやな。誰だって最初は女が怖いもんだ。道を誤らんうちに俺たちがひとつ、次の上陸日にだな」
木島は大真面目なヒゲ面をぬっと早水に突き出した。
「へぇ? 俺はちーっとも怖くなかったよ」
早水が言い返す。
「混ぜっ返すなよ。……そういや俺もだ」
「わはは、いい加減だな。いや案外磯貝さんは日本に好きな娘でもいるんじゃないか? なんかいつ私室に遊びに行っても手紙を書いてるよ」
「あ、そういえば……そいつは思いつかなかったな……くそ真面目な純情男だからなぁ、磯貝さんは」
木島は腕を組んでひとりウンウンと頷いている。
「いや、好きな娘がいるのなら、よけいに道を誤らんようにだな」
「木島さん、あんた磯貝さんをだしにして遊びたいだけだろ?」
にやりと早水が笑いかける。
「何を言う、遊ぶだけならひとりで十分だ。俺は本気で心配してるんだ」
木島も早水も磯貝を贔屓にしていた。
高慢で融通の利かない人間の多い参謀にしては、例外的に素直で純情で可愛げのある男。
そう二人の意見は一致していた。
「参謀なんかよして、もうちょい潮気に漬かるべきだな。けっこういい艦長になるんじゃないか? できるもんなら、俺が副長を勤めてやるんだが」
早水はそこまで言うほど磯貝を見込んでいる。
「なんか俺には磯貝さんの操艦は怖くて見てられないような気がするが」
そう木島はにやにやと笑った。
「いやぁ、本人はドンくさいが操艦は案外慎重でしっかりしているかもしれんて」
早水はそう磯貝の肩を持ってやった。
早水には、間接的にではあるが自分のインチキ怪談が磯貝の抱擁事件を引き起こした、などとは思いつかないことだった。
磯貝はしゅんとしていた。
あれから原は口をきいてくれない。
人前ではとくに磯貝を無視する態度を露骨に出す。
磯貝の恨めしそうな視線など気にもかけない。
今も書類を参謀長公室に持っていっても
「うん、そこに置け」
きちんと整理された机の前にかけた原は顔を上げようともせず、机の上の未決済箱を指差した。
人目のない自分の公室の中でさえ、ろくに口をきこうともしてくれない。
「あの……」
磯貝がオドオドと話し掛けようとすると
「ご苦労!」
押し被せるように硬い顔つきのまま、原は冷たく顔も上げずに言い放った。
まったく取り付く島もない。
磯貝は悄然と公室を出た。
いつだって艦長は磯貝にとって救いの神である。
今も人気のない右舷通路でぼんやり突っ立っているところを富森に声を掛けられた。
「……どうなさいました?」
富森には聞かなくても様子はわかっていた。
参謀長公室のドアから少し離れた通路でしゅんとしている磯貝参謀。
(これはまた、参謀長に意地悪をされたな……かわいそうに)
艦橋や夕食の席での参謀長の態度を見ていれば、磯貝がまたいじめられていることはすぐにわかった。
口を出してはいけないと思いながらも、富森にはもう見て見ぬ振りは出来なかった。
「とにかくお茶でも淹れましょう。さ、磯貝参謀」
富森は磯貝の背を抱かんばかりにして、艦長室に連れて行った。