◆続・冬の怪談〜続き


(まったく参謀長も大人気ないことをする。いくら磯貝さんがおとなしいといっても、上に立つものが部下に八つ当たりするなどもってのほか!)
湯を沸かしながら富森はやかんをぐっと睨んで腕組みをしていた。
彼としては珍しく原に腹を立てていたのである。
(何のはずみであんなことになったのかは知らないが……そんなことには興味はない)
夜戦艦橋での珍場面が富森の脳裏に浮かんだが彼はその映像をもみ消した。
(恥ずかしい思いをしているのは磯貝参謀も同じなのに、そんなこともわかってやれないのか)
しゅんしゅんと湯気を立てるやかんに富森は気を取り直した。
(……私が怒って感情的になってもいけないことだ。それより磯貝参謀……)
磯貝はソファでぽーっとしていた。
いつものことだが、艦長室に来ると気持ちがほぐれる。
艦長はあれから何も聞かず、黙って湯を沸かしていた。
しばらくして、とぽとぽと急須から茶を茶碗に注ぐ音がした。
煎茶のいい香りがふんわりと漂う。
富森の優しいいたわりの気持ちまでが一緒に漂ってくるようだ。


冷たい仕打ちを受けて気弱になっていた磯貝の涙腺が緩んでくる。
「さ、どうぞ」
磯貝の好きなニッキの干菓子を添えて富森が茶を出してくれた。
「……いただきます」
目の前がぼやけるのは茶の湯気のせいだけではあるまい……磯貝は目をしばたたいた。


机をはさんだ向こうで富森が黙って茶を飲んでいる。
(同じ沈黙でもどうしてこう違うんだろ……)
原の沈黙は磯貝を針の筵に座っているような心地にさせる。
磯貝には原のズタズタになったプライドにまで気が回らない。
ただ、原の顔色を窺ってオドオドするばかりだった。
そのあたりが原のように怜悧な人間の気に障るのだということは、たぶん彼には永久に理解できないだろう。
気はひたすら善くても、人の気持ちを汲み取るには磯貝の神経はたぶんに粗雑すぎる。
その磯貝の粗雑さも富森には愛すべき不器用、素朴さとして映るから相性とは不思議なものである。


「磯貝参謀」
富森は静かに話しかけた。
「参謀長は私に言わせればまったく大人気ない。しかし、あの御仁はあなたには気を許しておいでのように思えます。だから、あなたにはついつい我儘になってしまうのでしょう。それにしても……」
富森は原への非難の言葉を途中で切ると如何にも遺憾だというように首を振ってみせた。
「差し出がましいようですが、私からも長官に申し上げておきましょう。たぶん長官もお気づきだとは思うのですが」
部下である日本武尊乗組員には公平な富森も、司令部の磯貝にはずいぶんと肩入れをする。
「すみません。元はと言えば、私が参謀長に抱きついたりしたからなんです……」
訥々とした磯貝の説明に富森は目を細めて聞き入っていた。
まったく磯貝という男は不器用な話し振りにも持って生まれた人の善さがにじみ出て、相手の気持ちを和ませる。
急いでいるときにはさぞイライラさせられるだろう、あっちこっちに話がよろめくマイペースな話し振りではあるが。


「なるほど、そうでしたか……それは参謀長の自業自得というべきでしょうな」
磯貝に騒動の一部始終を聞いて、富森は微笑んだ。
「航海長にかつがれましたな、磯貝参謀。幽霊騒動の真偽は私にはわかりませんが、航海長の幽霊談はインチキですな。日本武尊の装備品はすべて新品ですよ。規格がいろいろと違いましてな。私は艤装にも携わりましたからそれは保証しますよ」
「え、そうなんですか。ひどいなぁ、航海長は。まんまと騙されましたよ。あんまり話が真に迫っていましたから」
「ははは、ここはひとつ艦長の私に免じて勘弁してやって下さい。航海長はいい男なんですが冗談好きでして」
富森は笑いながらも磯貝に頭を下げた。
「いやそんな。私も早水さんの話をいつも楽しみにしてるんですから」
磯貝はそんな富森に恐縮して頭を掻いてお辞儀を返した。
「急ぎの御用がなければゆっくりしていってください。いろいろと気疲れされたでしょう」
富森は穏やかに目を細めて微笑むと磯貝にいたわりの言葉をかけてやった。
「ありがとうございます……お茶が美味いです」
「はは、もう一杯お淹れしましょう」
素直な磯貝と茶を飲むのは富森にとっても楽しい時間であった。