◆続・冬の怪談〜続き
原は依怙地になっていた。
人一倍プライドの高い彼にとって、夜戦艦橋での醜態は耐え難いものだった。
陰で人が笑っているかもしれないと思うと我慢がならない。
磯貝との仲を誤解されているかと思うと発作的に首を吊りたくなる。
……よりによってあの磯貝と! 何であんなヤツと!
怖がりの磯貝をからかった自分が悪いのはわかっている。
しかし……原のプライドはズタズタだった。
誰とも当分顔を合わしたくない。
彼は未整理書類の箱を抱えて、参謀長公室という自分の城に閉じこもってしまった。
「参謀長」
大石は彼のお気に入りに声を掛けた。
たまに艦橋に顔を見せるだけで、食事もそこそこに自分の公室に籠ってしまう原がずっと気にはなっていた。
そっとしておいてやろうと今まで声を掛けずにいたのだが、もともとお節介な大石にはもう我慢しきれなかった。
「久しぶりにコーヒーでもどうだ?」
原はちらと大石に目をやるとすぐに目を逸らした。
「ありがとうございます。しかし、やりかけの仕事が残っていますので今日はやめておきます」
硬い表情と硬い声音。
(どうも今回は重症だな)
大石はふうっと息を吐いた。
しかし一度断られたぐらいで諦めるような押しの弱い大石ではない。
「少しぐらいいいだろう? そんな急ぎの仕事があるなんて俺は聞いてないぞ」
大石は笑顔でさりげなく原の進路の前に立ちふさがる。
「私が溜めていた書類があるのです」
「それなら別に急がないんじゃないか」
「でも、早く仕上げてしまいたいので」
原は大石の横ををすり抜けて部屋に帰ろうとする。
「いいから来い。話があるといえばいいのか?」
大石は有無を言わせぬ語調で原の顔をのぞきこんだ。
こうなると大石は絶対にあとに引かないことを原は経験上知っている。
「……わかりました」
原は仕方なしにため息まじりに承諾した。
大石はコーヒーの準備に取り掛かった。
原は応接セットのソファに硬い表情のまま座っている。
(やれやれ。どうしたものかな)
コーヒー豆をより出しながら大石は原の表情を盗み見た。
(困ったやつだな……おっとよそ見はいかんな)
大石は気持ちをコーヒー豆に集中させる。
原の気持ちが和らぐことを願いながら、コーヒーの抽出作業に心を込める。
やがて大石のとっておきのブルーマウンテンが芳醇な香りを漂わしだした。
しかし、その貴重な香りにも原の硬い表情は動かない。
「ブルーマウンテン、なんだがな。女王陛下から賜った……」
大石は香り高いコーヒーのカップを原の前に置いた。
「ありがとうございます」
原はにこりともせず素っ気無く一礼した。
(おいおい、陛下のコーヒーなんだぞ)
大石はがっかりした。
「磯貝のことなんだがな……」
気まずい沈黙を破って大石が切り出した。
「そのお話でしたら失礼させていただきます」
原は勢いよく席を立つと大股でドアに向かった。
「おい待て!」
大石は彼の後を追って腕を掴んだ。
「離してください!」
「落ち着け、原」
原は無言で大石を睨んだ。
「もう一度座れ。話は終わってないぞ」
大石の威のある厳しい顔つきに原は目を伏せた。
「……何をそうカリカリしている。まあ座れ」
大石は顔を和らげると原をソファのほうに押し戻した。
原をもう一度ソファに掛けさせると、大石はその前のテーブルに浅く腰を下ろした。
うなだれた原が大石には痛々しく感じられた。
(原。おまえはどうしてすぐそう自分の殻に籠る? 俺に気を許してはくれないのか?)
大石は無言で原の柔らかな髪を指でそっと撫でた。
(もう少し、俺を頼りにしてくれてもいいだろうに……強情なやつだ)
原の頭が微かに動いた。
大石は髪から指を離すと原の肩に片手を置いて、彼の顔をのぞきこむようにして優しく話しかけた。
「原。俺が何を言いたいのかわかっているんだろ?」
大石の暖かい声が原の心にじんわりと響く。
「少しは磯貝の身にもなってやれ」
ちらっと原が目を上げて大石を見た。
……磯貝のことがまず心配なんですか?
大石の目はやさしく笑っていた。
(違う。おまえのことが一番心配なんだ。わからんのか?)
大石の目がしっかりと彼の目を捉えてそう力強く言っていた。
「依怙地にならず、俺に話してみろ。そもそも何であんなことになったんだ?」
原は大石の情のこもった暖かい眼差しに降参した。
原は凍てついた木の芽が朝日を浴びたように、ぽつりぽつりと大石に事情を話しだした。
……まったくばかばかしい話だ。俺が自分でまいたタネだ。あいつをからかったりしたから。
話しながら自己嫌悪に原の言葉は途切れがちだった。