◆続・冬の怪談〜続き


(あーあ……)
磯貝は自分の私室に戻ると略帽をポーンと机の上めがけて抛った。
略帽は机の角に当たって床に落ちた。
(これだもんな、俺って)
磯貝は情けなさそうな顔になって落ちた略帽を拾いあげた。
(何をやってもダメなのかな? だから参謀長に邪険にされるのかな?)
原に邪険にされる……その言葉が磯貝の顔を悲しげに歪ませた。
(俺は参謀長が好きなのに)
どさりとベッドに磯貝は身を投げた。
穏やかな艦長の声をベッドに寝転びながら磯貝は思い返した。
……まあそう気になさるな。
富森は茶を静かに喫しながら磯貝に目を細めて微笑んで見せた。
……今日の午後は上陸日でしたな? 気晴らしに少し外の風に当たっていらっしゃい。私は残念ながら所用でお付き合いできませんが。
(外出か……散歩といってもすぐ日が暮れるしなあ。町をひとりでウロウロするのもなんだかなあ)
そうは思ったが、たしかにこのまま部屋でぐずぐずしていると気分が暗く落ち込んでしまいそうな気がした。
(艦長のおっしゃるように外に出てみよう。そうだ、あとで参謀室に行って誰かを誘って……)
磯貝はベッドに起き直った。
そうと決まればさっさと私服に着替えてしまおう。
ベッドの下の引き出しをあけて磯貝は着替えの服を引っ張り出した。


航海長休憩室では木島と早水が今日の午後の上陸の相談をしていた。
彼らは磯貝連れ出しを今日決行する気でいた。
問題はいかにして磯貝を町に連れ出すかである。
「また艦長に見つかると叱られるからなぁ。そうだ、直接磯貝さんの部屋に行ってがっちりと身柄を押さえて……」
「得意の押さえ込みか?」
「柔道じゃねえんだ、早水さん。そうだな、首に縄つけてひっぱてくワケにもいかんな。じゃ俺とあんたで説得、ダメなら有無を言わせず内火艇に押し込むと」
「やっぱり最後は実力行使かね? だめだねぇ、もっと頭を使わなきゃ」
早水はにやりと笑う。
「磯貝さんは食いしん坊だ。美味い店があると言って連れ出せばいい」


「磯貝、いるか?」
原は磯貝の私室のドアを軽くノックした。
「あ、はいっ! どうぞ」
少し慌てたような磯貝の声が返ってきた。
「俺だ、開けるぞ」
原はドアを開け中をのぞき込んだ。
磯貝は私服に着替中で、ちょうどズボンをはこうとしているところだった。
「あ、参謀長!」
ズボンに片足を入れかけたままの格好で磯貝は顔を上げた。
ワイシャツに靴下だけという間の抜けた格好の磯貝に原は顔をしかめた。
「なんだ、着替えているならそうと言えばいいだろう」
「すみません、お声がよく聞こえなかったもので、まさか参謀長とは……」
磯貝は顔を赤らめた。
「いいからさっさとズボンをはけ」
原は顔をしかめたまま、部屋の中に入ってドアを閉めてやった。
……戸口で一言謝ってすぐ帰るつもりだったのに。
原はまたイライラしてきた。
……いつでもそうなんだ。磯貝に関わると予定が狂ってばかりだ。
ドアに背をもたせて原は渋面のまま腕組みして磯貝が服を着るのを待った。
チラッと目に入った原の渋面に、磯貝はますます慌てた。
原が無作法な格好をひどく嫌うことは彼もよく知っている。
「す、すみません、すぐ着替えますので」
せめて後ろを向こうと磯貝は片足をズボンに入れかけたまま身体の向きを変えようとした。
「あーっ……!」
案の定バランスを崩して磯貝は前のめりに勢いよく倒れた。
……やると思ったよ。どうしておまえはそうドンくさいんだ?
原はうんざりした顔つきでばったり床に倒れている磯貝を見た。
床に倒れたきり、磯貝はなかなか起き上がらない。
……どうした?
原は心配になり様子を窺った。
「磯貝? 大丈夫か?」
もぞもぞと身体は動いているが、磯貝の返事はない。
「おい、磯貝」
心配になった原は磯貝のそばに駆け寄ってその肩に手をかけた。
「どうしたんだ、おい」
「……イ……」
「なんだって?」
「イタタ」
「どこが?」
「……肋骨、かなぁ……」
苦しそうな息の下で磯貝が声を絞り出した。
「なんだと?」
声も出ないほど痛かったのだろう、磯貝は涙目になっていた。
「どこだ、みせてみろ」
原はそっと磯貝を抱え起こすと仰向けにした。
「どのへんが痛む?」
「ここ、かな……」
磯貝が胸のあたりをさする。
原は肋骨を横からそっと押してみた。
「これはどうだ? 痛いか?」
「う……そこは、痛くない、かなぁ?」
「どうやら折れてはいないな……大きく息を吸ってみろ、痛むか?」
「……いえ、とくに」
「咳払いをしてみろ」
「えへん。げほげほ……大丈夫です」
「骨に響かないか?」
「ええ」
「ひびも入ってないようだな。起きられるか?」
原はまだ心配そうな目で磯貝を見ながらも、彼に手を貸して身体を起こしてやった。
「え……と、はあ大丈夫です」
「まだ痛むか?」
彼の背を抱きかかえるようにして心配そうに囁く原の優しい声と切れ長の目に、磯貝はどぎまぎしてしまう。
「ええと、なんか大丈夫そうです」
「……本当に大丈夫なのか?」
「はあ、すみません」
「まったく……人を驚かすんじゃない」
「すみません……」
「この馬鹿」
ようやくいつもの調子で原は磯貝に当たった。
「はあ、申し訳……」
「大げさに痛がりやがって。心配しただろう、馬鹿」
馬鹿を連発する原を磯貝は泣きそうな顔で見た。
「馬鹿、そんな顔をするな……」
「でも、やっと口をきいてくれた」
「ん……」
「よかった」
半べそで微笑む磯貝に原は謝る機会をつかめないまま、そのまま黙って磯貝の顔を見ていた。
童顔ながら男っぽいいかつい顔が、眉を下げて今にも泣き出しそうにして原を嬉しそうに見つめている。
謝罪の言葉など磯貝はこれっぽっちも求めていないのがわかる。
ただ、こうして部屋に来て口をきいてくれた、それだけで彼は十分なのだろう。
(困ったやつだなあ、おまえは。何で俺なんかにそんなに懐いてくるんだ?)
原は渋々といったかんじで照れくさそうに微笑み返してやった。
(わかったよ。もうおまえを苛めないよ……できるだけ……俺だっておまえが可愛いんだから)
部屋の床に座り込んだまま、ふたりはほのぼのと仲直りムードになっていた。


「いいか、勧誘は俺に任してくれ。木島さんが口を挟むとすぐにバレバレだから」
右舷通路を並んで歩きながら、早水が木島に念を押していた。
「うむむ、わかった。俺は黙っておく」
なんといってもホラ吹き早水の口のうまさは木島も十分知っている。
「いるかな、磯貝さん」
「まだこの時間だ、どこにも行くめえ」
「そうだな」
ふたりは磯貝の私室のドアの前に立った。


どんどん。
おーい、磯貝さん、いるかぁ?
入るぞぉ。
ドアの外で騒々しいノックと人の声がした。
「なあ磯貝さん、美味い飯でも……」
ドアを開けた早水と木島はその場に凍りついた。
部屋の真ん中には、床の上に抱き合うようにして座り込んでいる磯貝と原がいた。
磯貝と原はハッとしたように二人の闖入者を見た。
早水と木島の視線は、ズボンを下ろしたままの磯貝の下半身に数秒とどまり……。
「すんません、お邪魔しました」
「いやこれは失礼をば」
ふたりはこもごも呟くと回れ右して部屋を出ていった。