◆アイスランド料理
部下の私室でふたりきり。
ベッドの脇の床の上にふたりして座り込み。
ズボンを足首まで下ろした磯貝参謀と、そんな彼の背を抱きかかえる原参謀長。
これって、まさか……?!
見方によっては非常にとんでもない現場に踏み込んでしまった、早水航海長と木島砲術長。
「すんません、お邪魔しました」
「いやこれは失礼をば」
二人はもそもそと口の中で呟くと、ぎくしゃくと回れ右をした。
(うわーっ!)
(ありゃ、なんだ!)
ふたりは逃げるように磯貝の私室を出ると、一目散に艦尾の方向に早足で向かった。
一方磯貝の私室では。
「ほらまた誤解を招くことを! さっさとズボンをはけったら!」
弾かれたように床から立ち上がった原は、ぼーっとしている磯貝をいらいらと叱りつける。
磯貝は原に叱られてもまだ呆然としている。
……あーもう鈍い、鈍すぎる!
原は舌打ちすると、磯貝をその場において木島たちの後を追った。
「待て。磯貝に用があったんだろう!」
通路で原はふたりを呼び止めた。
「は、はあ」
木島と早水は顔を見合わした。
「なんだ、言ってみろ」
「はあ」
「俺がいちゃ言えんことか?」
「いやそういうわけでは」
「とにかく、もう一度部屋に戻れ。どうせつまらん誤解をしているだろう!」
原は顔を赤くして怒っていた。
(そうは言っても、なにしてたんだ)
(ズボン脱がして、なにしてたんだ)
ふたりの大佐は顔を見合わせながらも、原の剣幕に押されるようにして磯貝の部屋に戻った。
「いいか、つまらん誤解を受けるのは迷惑だから説明をしておく」
「……はあ」
「俺がここに来たとき、磯貝は着替え中だった。磯貝が慌てて床にこけた。たいそうに痛がるから心配になった。そこにあんたたちが来たんだ、わかったか」
「……はあ」
ふたりが少尉や中尉ならば「なんだその返事は!」と怒鳴りつけるところであるが、ふたりとも日本武尊の幹部である。
原はぐっと我慢した。
「で、磯貝に何の用事だったんだ? そういうわけだから逃げていかなくてもいいだろう」
「……はあ」
あいかわらず、ふたりの返事は煮え切らない。
原にそう言われても、ああそうだったんですか、とカラリと笑う気持ちにはなれない。
なんといってもかねてからの疑惑を裏付けるような場面を目撃してしまったふたりである。
そんな木島たちの態度に苛立ちながらも、原は重ねて問いただすのをやめた。
悔しいが、言葉を重ねれば重ねるほど、なんだか弁解じみてくるのは否めない。
きつい目で木島と早水を睨んだまま、原は苦い顔でいったん引き下がり腕組みをしてドアにもたれた。
「……その、今日は上陸日なわけですが、いい店があるので磯貝さんを誘おうかと」
原に向かって早水が来室理由を説明しだした。
(参謀長はどうも苦手だ。というか、何で俺が恐縮しなきゃいけないんだ?)
自分を睨む原の切れ長の冷ややかな目に早水は首をすくめた。
木島は口を挟まず頼りにするような目でじっと早水を見ていた。
(そうだ、参謀長より磯貝さんだった)
ズボンをはいた磯貝はぽかんとした顔で突っ立って原と早水たちのやり取りを聞いていた。
早水は気を取り直して磯貝の勧誘をはじめた。
「その、料理が美味い店で。家庭料理というんでしょうかね、素朴なんだが美味いんです」
磯貝のほうに向き直ると早水はいつもの調子でしゃべりだした。
「アイスランド料理はなんといっても新鮮な魚介料理です。ソースや味付けより素材のよさが命なんですな。日本じゃあまりお目にかかれない獲れたての北海の魚がじつに美味い。名前のわからん魚もありましたが、でかいオヒョウやタラ、それとロブスターは身が締まっていてじつに美味かった。ナントカという深海魚のキャビアは安いわりに味がいい。名物の魚の燻製も一風変わっていましたなあ。どうもウナギらしいんですが、カリカリになったやつを薄くスライスしてバターをつけると、つまみに合うんだな、これが」
早水はうんうんとひとりで頷いてみせる。
「磯貝さんはたしか魚が好物でしたなあ」
「はあ、焼き魚が好物です」
「焼いた魚はあったかな? ま、頼めば焼いてくれるでしょう。一般的なメニューと言えば、酢漬け野菜と新鮮な魚と羊肉のシチュー、てところかな。そうだ、変わったチーズもありましたよ。えらく柔らかくてサワークリームとヨーグルトの中間というか。こいつに砂糖とミルクを混ぜたプディングがデザートに必ず出ますよ」
「へえ、美味そうですねぇ」
食い意地の張った磯貝は身を乗り出して話を聞いていた。
(……木島に早水。食い気より色気という二人組がなぜ磯貝を食事に誘う? このふたりが考えることといったらまず女のはずだ……さては磯貝を食い物で釣って女遊びに連れ出す気だな)
原は腕を組んで壁にもたれたまま、皮肉な目つきでふたりを観察していた。
原の視線に木島は首筋をぼりぼり掻いてるし、早水は目を逸らして殊更に磯貝に話しかけた。
「磯貝さん、アイスランドの郷土料理はまだ一度も食べてないんじゃないですか? 今日の夕食は外で食べましょうや」
「郷土料理かあ」
磯貝は心を動かされたようである。
「手作りの木苺のシロップなんかは磯貝さんの好みじゃないかな。ほら、デザートにあっただろう、パンケーキっていうのかな?」
早水は横の木島を突いて応援を求めた。
「んあ? ああ、あったあった。あのくそ甘い菓子……」
木島では応援にもなりはしない。
「パンケーキですか、木苺の」
磯貝がうっとりとした。
彼の場合、「くそ甘い」という言葉にもかえって惹かれるようである。
「行きませんか? 磯貝さん」
「行きたいです」
釣れた、と早水がにやりとしたとき……。
「……俺も行こう。いいだろう?」
原は意地悪い笑みを浮かべながら言った。
「え、参謀長が」
早水がぎょっとする。
「都合が悪いなら遠慮するが」
「いえ、とんでもない。珍しいので驚いただけで」
原は普段から人付き合いが悪い。
自分から進んで食事に付き合ったりするようなくだけたところはない。
上陸するのは大石に誘われたときぐらいのものだ。
「じゃ、よろしくな」
薄く笑ったまま、原は磯貝の部屋を出た。
木島と早水はあっけに取られて、原の後姿を見送った。
磯貝と出発の時間を打ち合わせて、木島と早水も磯貝の私室を出た。
料理の話は嘘ではない。
料理も出るが女の子もいる、そういう店である。
連れ出した磯貝に適当な女の子をあてがって、四の五の言わせずしかるべき場所に押し込んでしまおう……というのが木島たちの作戦だったが、原の同行という思いがけないアクシデントに彼らは困惑していた。
「どういう風の吹き回しかね、参謀長は」
通路を歩きながら早水がぼやく。
「ばれたのかな、俺たちの目論見が」
木島は参ったなという顔で不精ひげを撫でた。
「参謀長も木苺が好きなのかねぇ?」
早水は首をひねった。
「知るかい、参謀長の好物なんか。やはり、これは磯貝さんの貞操の危機を救わんがためという……」
「どうしてもそっちに想像を逞しくするんだな、あんたは」
木島の言い草に早水は笑って彼の背中をどやしつけた。