◆磯貝君涙する〜続き


磯貝は艦長室に遊びに来ていた。
艦橋でもポツンと離れてしょんぼりしていることの多い磯貝を、富森艦長がお茶に誘ったのだった。
艦橋でも参謀室でも、磯貝は原参謀長を避けて隅に引っ込む癖がいつの間にかついていた。
原のあの鋭利な切れ長の目で見られると、磯貝は自分が疎んじられているような気がして、ついつい気後れしてしまうのだ。
富森がとぽとぽと急須に湯を注いでいる。
磯貝は椅子に座って富森の手元をぼんやりと見ていた。
口数は少ないが飄々として聞き上手な富森艦長の沈黙はけっして重苦しくない。
富森には大石長官のようなカリスマ性はないが、彼の人情味のある質朴な人柄を慕う乗組員は多い。
彼の日頃の言動も何かと控えめで奥ゆかしく、富森はその風貌どおりの古武士なのであった。
富森は煎茶を茶碗に注ぎ分けるとガサガサと袋から茶菓子を出した。
「干菓子ですがどうぞ召し上がれ」
にーっと元々細い目を細めて富森が茶菓子を勧める。
「はっ、いただきます」
遠慮なく手を伸ばすと磯貝は干菓子をぼりぼりと噛み砕いた。
甘い。
ニッキの香りの懐かしい味だ。
熱い煎茶をずずっと啜る。
磯貝のそんな様子を目を細めて微笑したまま富森は無言で見守っていた。
ふと懐かしい気分を磯貝は感じた。
(……こんなことが小さいときもあったな)
喧嘩に負けたのか叱られたのかもう忘れたが、べそをかいていた幼い磯貝に干菓子と煎茶を出してにこにこしていた祖父。
(……年寄りはどうしてこんな苦いものを飲むんだろうと不思議に思ったっけ)
もう顔もはっきりと思い出せない祖父。
磯貝の目と鼻の奥がつうんとしてきた。
(……俺ってこの頃だめだなあ)
落ち込んでいるときは人の情がやたらと身に沁みる。

「どうかなさいましたか?」
目を潤ましている磯貝に富森が問いかける。
「いや、じつは……」
磯貝には咄嗟に言い繕えるような小器用さはない。
彼は祖父の思い出をそのまま富森に訥々と語った。
「ほほぅ……」
富森は変な顔もせず目を細めたまま磯貝の思い出話に耳を傾けた。
「いいお話ですな」
磯貝の茶碗に茶を注ぎ足してやりながら富森は言った。
「じじ様ばば様の恩愛はいくつになっても懐かしいものです。まあもう一服」
「は、恐縮です」
磯貝は少し照れて二杯目の茶を啜った。
富森が相手だとこんなたわいもない話もつい口にしてしまう。

「原参謀長のことですが……」
さり気なく富森は話を切り出した。
苦手な人の名を出されて思わず俯いてしまう磯貝の様子に富森は苦笑した。
「あのお人は頭は切れるが言葉尻がややきつい御仁です。いや、だいたい誰にでもずけずけと意見できないと参謀長の役目は勤まらないわけでして……ははは」
富森はどじょうひげを揺らして笑った。
(磯貝参謀も最前線の修羅場で鍛えればもう少し胆も据わるかもしれんなあ……仕事は出来るのだからこのまま萎縮させてしまっては惜しい)
笑顔の中で富森はそんなことを考えていた。
「磯貝参謀は幕僚の中でも一番お若い。気にせず臆さず参謀長の胸を借りるつもりでおやりなさい」
「……はッ」
磯貝は素直に頷いたが脇に冷や汗をかいていた。
皆に心配をかけている自分がなんとも情けない……。
「気が塞ぐことがあればいつでもお寄りください。私でよければじじ様の代役を勤めましょう」
富森は目が線になるまで細めて笑った。
「この菓子は磯貝参謀用に取っておきますからな」
干菓子の袋を振って富森はおどけてみせた。
「ははッ」
磯貝は頭を下げた。
(がんばらなくちゃな俺……こんなに気にかけてもらって……)
磯貝の涙腺は最近緩みっぱなしなのであった。