◆草の上で2


前原は夢の中の草原でまどろんでいた。
新鮮な空気や明るい日光とは無縁の狭く不自由な潜水艦暮らし。
ストレスを感じた彼の意識が夢の中に救いを求めても無理はない。
夢の中の草原では、どこかあまやかな風が彼の頬を撫でるように優しく通り過ぎていく。
白樺の堅い幹にもたれて彼はまどろむ。
ときおりぐらりと頭が傾く。
無防備な姿勢のまま彼はまどろみ続ける……恋人が訪れるまで。


さわさわとそよぐ葉擦れの音、遠くで鳴き交わす鳥の声……静かだ。
「う……ん」
前原は小さく呻いて姿勢を変えた。
今日は誰も来ない。
……抱かれたいのに……。
身体が熱い。
高野は、高杉は、せめて坂元は。
……来てくれないのか……。
先日の高野の濃厚な愛撫が忘れられない。
高野の分厚い手のひらの微妙な圧力とあのねっとりとした口技。
高野を思う前原の瞳が妖しく潤む。


――ぱき。
小枝を踏む音に前原ははっとした。
思いが通じたのか。
前原は身を乗り出して物音のほうを見つめた。
草原にはいつのまにか霧が出ていた。
白いガスのベールがさらさらと濃く薄く、流れてはまた押し寄せる。
人影がぼんやりと現れる。
きょろきょろと不安げにあたりを見回す背の高い男。
仕立てのいい背広をきっちりと着こなした初老の紳士……あごひげが濃い。
「木戸外相……!」
前原は愕然としてつぶやく。
「ああ、前原さん!」
木戸は前原の顔を見てほっとしたようだ。
「わけがわからないまま、こんなところに迷い込んでしまって……」
心細かったのだろう、嬉々として木戸は前原に駆け寄った。
相変わらず木戸の顔色は悪い。
各国との交渉を一手に引き受けて、その心労と激務に肝臓でも傷めているのだろう。
濁った顔色と顔中を覆う剛毛のひげの中で目だけがぎらぎらと輝いている。
「前原さん、あなたは何かご存知なのですか? 教えてください! ここはどこです?」
木戸は前原の腕を掴んだ。
前原の目前に木戸の濃いひげ面が迫る。
「前原さん、ここにはあなたしかいないのか? 私たちふたりきりということなのか?」
偏執狂じみたぎらついた目で前原を見据えながら、木戸は前原を問い詰める。
「あっそんなに迫らないで」
前原は慌てた。
「逃げようというのか! さあ、答えなさい!」
木戸は前原を逃がさないよう、彼を白樺の幹に押し付けた。
眼前には鼻息も荒い木戸のひげ面……タバコ臭い息が前原の顔にかかる。
前原の肩を押さえつけている木戸の手の甲には、手首から連なる剛毛が黒々と生えている。
(うげっ。毛深い……。きっと体中毛深いんだろう)
余計なことを想像したせいか、その瞬間ぼわわーんと前原の衣服が消滅した。
「しまった!」
「わっ!」
突然オールヌードになった前原に木戸は胆をつぶした。
「こ、これは……」
突如出現した目の前の美形の裸体に木戸は目のやり場に困りつつも……ぼわわーん。
「げっ!」
「わわッ」
これまた突如オールヌードになった木戸に引き攣る前原。
泡を食って前を隠そうとジタバタする木戸。
「木戸さんッあなたはそういう嗜好があったのですか!」
自分のことを棚に上げて前原は木戸をなじる。
「いや、そんな、けっして私は!」
必死で否認する木戸ではあったが素っ裸では証拠は歴然なのである。
「そうだッ、これは夢だ! 夢に違いない! そうでないと説明がつかない」
血走った目で木戸はぶつぶつとつぶやいている。
つぶやきながら木戸は食い入るように裸の前原を見つめた。
「夢ならば私は自分に正直になろう……思いを遂げさせてくれ! 前原さん!」
「ええーッ!」
毛むくじゃらの腕が前原を抱きしめる。
はぁはぁと荒い息を吐くひげ面が前原の唇を奪おうと躍起になる。
「お願いだッ前原さん! あなただって、あなただって……」
木戸の節高な手指が前原の股間を襲う!
「ギャアァァ! 夢よ覚めろ! 早く覚めるんだー!」
前原は絶叫した。



ギャアァァ……! どっすーん!
ただならぬ悲鳴と物音に発令所の当直員は顔を見合わせた。
あれは、前原司令官の声ではないか?
「司令! 前原司令!」
発令所の真横の前原の私室に彼らは殺到した。
ドアを開けると、作り付けのベッドから床に落ちたのだろう、前原が床の上で目を廻していた……。