◆能面
「心臓作戦」「NC作戦」「バイキング作戦」……いずれも司令長官の大石自らが起案した作戦である。
これは本来なら、こういう目的でこれこれの敵をどうこうしたい、という自分の意向を司令長官が参謀長に伝えて、そこから作戦案作りが始まるわけだが……大石はその段階を平気ですっ飛ばしてしまうのだった。
だいたいが普段から参謀長にも諮らずいきなり艦隊行動を命じて、原の目を白黒させたりもするとんでもない司令長官である。
異例なことであったが、旭日艦隊では大石が自身で立案した作戦書を原がまず熟読して、納得した上で各参謀に細部を指示して渡す――各参謀がそれぞれの専門分野から作戦に肉付けする――そしてそれを原がガッチリとまとめ上げ、あらためて大石に提出しゴーサインをもらう……という流れになる。
あとは参謀たちが手分けして作戦命令書のガリ版刷りに精を出し、各部隊に手渡すのである。
作戦命令書はこうしてできあがるが、その作戦目的・内容を実施部隊に周知納得させるのも参謀の仕事であった。
先任参謀である磯貝が参謀として最も役に立つ場面とは、実はこの「根回し」においてなのだった。
実施部隊の司令官・艦長に会いにいき、彼らに作戦の意図を詳しく説明して理解を得る――そんな折衝交渉に磯貝を出すと、なぜか非常にスムーズに話が進んだ。
現場のひと癖もふた癖もある艦長たちも、磯貝が「根回し」に向かうと不思議にすんなり納得する。
これには原も大石も意外な磯貝の能力に大いに驚いたものだった。
……あいつにそんな使い道があったとはなぁ。
……さんざん逆ねじを食らわされて、泣いて帰ってくるんじゃないかと心配してたんだが。
艦隊司令部の参謀というと、たいがいが大学校出の恩賜組で未来の将官候補である。
当然肩で風を切るフウがあったのだが、磯貝は参謀にしてはなんともおっとりしていた。
いかにも人のよい純朴そうな風貌に、たいていの人は拍子抜けし、なんとなく好感を持った。
こういうときに来る参謀がたいていそうであるような、立て板に水といった口調ではなく、書類を見ながら訥々と、ときどきつっかえながら彼は説明する。
もそもそしながらも作戦の趣旨を粘り強く腰を落ち着けて説く磯貝に、うるさ型の司令も艦長も最後には
「そういうことなら、ひとつやってみるか」
と作戦に納得してしまうのだった。
この日も磯貝は遊撃艦隊旗艦《虎狼》に「根回し」に来ていた。
作戦のおおよそはこの前あった日本武尊での作戦会議で説明済みだったが、細部での調整が必要になり磯貝が出向いてきたのだ。
各司令・艦長連も旗艦に集まり、こもごもと意見や注文をつけてくる。
磯貝は遊撃艦隊の中村司令官やその幕僚と同席し、神妙な顔つきで聞き役に回っていた。
「……わかりました。併せて検討してみます」
小型のノートに磯貝がなにやら書き付けている。
「……と、これでよし。確かに承りました」
ぶつぶつと復唱しながら大きな背を丸め、ちびた鉛筆でゴソゴソとメモを取る姿は、金の職緒を下げた参謀というより酒屋の御用聞きのような具合だった。
その姿に老練な駆逐隊司令の潮焼けた頬が思わず緩んだ。
「こっちも準備があるから早いトコ頼むよ」
「はい、明朝一番にもう一度連絡に上がります」
磯貝は誰に対しても普段から腰が低い。
物言いも高圧的なところはまったくなく、不器用ながら篤実さが滲み出る。
こんな調子で遊撃艦隊のひと癖もふた癖もある大佐たちも、磯貝が相手だと態度を軟化させてしまっていた。
こうしてこの日の「根回し」も無事円満に片がついたのだった……。
仕事の話が一段落して、《虎狼》の作戦室のテーブルには和やかな空気が流れていた。
従兵が熱いコーヒーを運んでくる。
各自の前に置かれたカップに遊撃艦隊の面々は砂糖を幾さじも入れている。
ここのコーヒーはごく普通の海軍コーヒーだ。
磯貝も山盛り二杯、大石の前では絶対入れない砂糖を遠慮なく入れると、さじでグルグルかき回した。
「君は妙な男だなぁ」
ごつごつした掌からコーヒーカップをテーブルに戻すと、どっしりと貫禄のある中村司令官が磯貝に向かってぽつりとつぶやいた。
「え?」
ほっとした様子でカップを抱えていた磯貝が、中村の言葉に顔を上げた。
「参謀らしくないよ」
「は、はぁ……なんでおまえなんかが参謀なんだとよく怒られます」
磯貝がばつが悪そうに頭を掻いた。
「そうか、よく怒られてるのか」
中村司令官が真顔でうなづいてみせた。
「ま、なにかと大変だろうね」
彼は剃刀のように切れてとっつきの悪い原参謀長の顔を思い浮かべていた。
……あの男と始終顔をつき合わせてるんだ、さぞかしやり難かろうなぁ。
報告に少しでも曖昧な点があると、容赦なく難詰してくる原の鋭い舌鋒は、中村も過去に何度も味あわされている。
「いつもあんな調子で居るのかね?」
中村司令官は眠たそうな目をちかりと光らせると磯貝の顔を覗き込んだ。
じつを言えば、本艦隊の内情には少なからず興味がある。
中村の目から見ても、旭日艦隊の司令部はとんと風変わりに思えるのだ。
「は?」
「参謀長だよ、君のとこの」
中村の言葉に同席していた司令たちも口々に同調しだした。
「きついな、あの人は」
「すました態度でとっつきにくい」
「私らは陰で能面なんて呼んでいるんですがね」
「能面……?」
「綺麗な顔をしているが、にこりともしないからな」
「は、はぁ……」
目をぱちくりさせている磯貝の前で、時ならぬ原参謀長の陰口の棚卸がはじまった。
「答礼でも冷たい感じがする。長官が気さくな人だからよけいに目立つ」
……あ、いや、プライベートでは結構茶目なところもあったりして、いい人なんですよ。
「口の利き方もなんとなく、かちんとくるな。理屈っぽいというか」
……ええと、悪気はそれほどないんです、言葉足らずなだけなんですよ、ああいう人だから。
「せめて酒の席で打ち解けて話そうとしても、一杯だけでピシャッと盃を伏せてしまって感じが悪いったらない」
……ああー、それは参謀長が下戸だからです。お嫌いなんですよ、お酒自体が。
「いくら切れ者かしらんが、人物に深みがないというか、あれでは人がついてこんだろう」
……あーう、でも部下思いなんですよ、ほんとは。たしかに損をしていると思うけど。
「艦長経験はあるのか、あの人は」
「赤れんがの中で図上演習ばかりしていた口だろう、ここに来る前はどこにいたんだ?」
司令のひとりが磯貝のほうに向き直って尋ねた。
「あ、たしか軍務局の」
「やっぱりな。潮気がぜんぜん足りん」
さもありなん、とその司令は頷いてみせた。
「潮気のない将官には、現場の将士は安心して命を預けられんもんだ。あの人はしょせん補佐向きの秀才だな」
――きつい批判の連発に、磯貝の心の中での精一杯のフォローも追いつかない有様だった。
これほどまでに原参謀長の評判が悪いとは。
レイキャビクの米軍司令部などでは、秀麗な面持ちで理路整然と話をする「ハラ中将」は大変にウケがよい。
ところが足もとの遊撃艦隊の古強者には「能面」呼ばわりされるほど不評だったなんて――
まさか同調するわけにも行かず、といって口を挟んで庇い立てする勇気もなく、遊撃艦隊の幹部たちから次々出る陰口に、磯貝はコーヒーカップを抱えたまま立ち往生しつづけていた。